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始まった空爆

ガザ地区への空爆が始まった。
イスラエル軍による攻撃で、主目的はハマースの拠点粒しだという。
ネタニヤフ首相は、ガザ地区からのロケット弾攻撃が止まない限りは続けると言っている。

巻き込まれた民間人の犠牲はさっそく出始めており、
パレスチナ側のMa'an通信などはその実名を挙げて報道を始めている。
アラブのメディアでは、巻き添えになった子どもの炭化した焼死体の写真も報じられている。
報道規制から日本ではテレビ画面に映されることはないだろう
あまりにも悲惨な姿だ。

誤爆による犠牲は、もちろん非難されるべきことである。
ただ、それなら武装グループのリーダーならじゃんじゃん殺してもいいのか
というと、それも少し違う気がする。
戦闘で武装集団同士が殺しあうのは当然といえるかもしれない。
とはいえ、人間を空爆で殺す、ということ自体、かなりの異常事態ではないだろうか。
「犠牲になるのはいつも老人、女性、子どもばかり」というのは
あまりに多用され過ぎていて、何か大事なことが抜け落ちがちなレトリックのような気もする。
この問題は、もう少し丁寧に考えるべきと前々から思っているが
とりあえずここはこのくらいにしておく。

ともかくも、凄惨な形で命を奪われた人の報は、
まともに受け止めようとする人の心を深くえぐる。
それは強い悲しみか、激しい怒りを巻き起こす。
悲しみは人から気力を奪い、怒りは他の誰かに乱暴な形で向けられる。
それらは冷静な判断を妨げ、反応は負のスパイラルへと陥っていく。
私自身、ここ数日はそこからなかなか抜け出すことができなかった。

けれど事態の推移と展開を考えるには、やはりある程度は醒めた頭で
捉え直す必要があるだろう。
「イスラエルが空爆を始めたのは、誘拐事件が原因だ」
「空爆よりも誘拐事件の方が重要だ」(かわら版 9Jul2014
と書いている人もいるが、それは違うのではと私は考えている。
イスラエル政府が刻一刻と報じ、非難してきたのはハマースによるロケット弾攻撃であり
今回の空爆はそれを封殺するためのものだ。
人質事件は双方の世論に深い傷を残しているが、空爆には直接関係ないだろう。

より正確にいうなら、空爆は、最初の誘拐事件をめぐる
ハマースとイスラエル政府の応酬の行き着いた先、とも考えられる。
その過程では、双方の誘拐の犠牲者の生死は、極端に言うなら
あまり関係なかったかもしれない。

3人の宗教学生の誘拐事件が起きて、その捜索を口実に
イスラエルが西岸地区全土で(誘拐された南部だけでなく)
一斉検挙と拘束に乗り出した。
(この時点では学生の死は確認されていなかった)
そもそも政治囚の釈放にあまり肯定的でなかったイスラエル軍は、
釈放されたばかりの者も含めて、ハマース関係者を中心に
ここぞとばかりに400人以上を拘束した。
ハマースはこれに対して抗議のロケット弾攻撃をガザ地区から始めた。
(発射回数はムハンマド少年の遺体発見以前から既に急増している)
その頻度と飛距離が増えるに従い、イスラエル政府は当初躊躇していた
空爆に踏み切った、というのが流れだと私は考えている。

イスラエルの閣僚の間では、ネタニヤフ首相の対応がむしろ生ぬるすぎる
との批判が出ていた。タカ派で知られるリバーマン外相は
これを理由に連立を解消している(Ma'an 7 Jul 2014)。
特に軍の側は、あまりガザ攻勢に積極的ではなかったという。
もっと早い時期に空爆が始まるだろうと予想していた私にとっても
今回の攻撃開始は少し「二の足を踏んでいる」という印象を受けた。

躊躇されてた空爆に踏み切らせたのは、むしろハマースの攻勢だった。
昨年ごろより飛距離が伸び始めたガザ地区からのロケット弾攻撃は、
アシュケロンやベエルシェバなどをはるかに越えて、
テルアビブやエルサレム、ハイファの郊外にまで到達するようになった。
人的被害はまだそれほど出ていないが、時間の問題だろう。

戦略的にいえば、ハマースのロケット砲弾の飛距離が伸びるのは
あまり得策とはいえないかもしれない。
撃ったところでどうせ誰にも当たらない、飛距離の短いおんぼろロケット弾
だったからこそ、国際社会はあまり非難しなかったし、
火力の優劣の格差が示され、パレスチナ側に対する同情や
国際的な連帯を集めてくることができた。
それが人に当たり始め、軍事的脅威となり始めると、
以前、自爆攻撃が供したのと同様の物議をかもし始めることになりかねない。

ハイファ近郊まで届くということは、イスラエル側の主要都市はほとんど
その射程距離内に含まれるということになる。
首都機能を果たすテルアビブがしっかり砲撃対象になるということだから
イスラエルが自己防衛目的で本格的な攻勢を始めるのには
十分な口実になる。

だいたいハマースがロケット弾をどこに向けて撃っているのかも不明である。
聖地エルサレムを狙うには精度が低すぎるため、とりあえず真北に向けるのは
理解できるとして、テルアビブでもなく、ハデラやズィフロン・ヤアコブなど
何を目的に撃っているのだろう。
飛距離が伸びたのがうれしいのは分かるが、石蹴り競争じゃあるまいし
とにかく遠くへ飛ばせれればよいというものではない。
イスラエルに対して強い脅威感を植えつけることにはなるだろうが、
抑止という意味では逆効果だ。

ハマースは今回のロケット攻撃について犯行声明を出し、
4つの要求を停戦の条件として提示している(Middle East Eye 9Jul2014)。
(ただし宗教学生の誘拐事件については一貫して関与を否定)
1.西岸地区と東エルサレムでの一斉拘束をやめること、
2.ガザ地区への攻撃をやめること、
3.最近拘束された政治囚の解放、
4.ファタハとハマースの統一政権への動きを妨害するのをやめること、
がその内容だ。(録画はこちら

声明を出したということは、本来ならそれとの交渉で解決を図るはずだが
イスラエル政府は基本的に、ハマースとの交渉を拒否している。
(それはハマース側も同じだが)
ネタニヤフは予備役の招集、地上軍投入の準備など、長期化の用意を
ちらつかせ始めており、紛争は中長期化する気配を見せ始めている。
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暗雲立ち込めるパレスチナ(3)

検死の結果が出た。
東エルサレムで誘拐され、遺体で発見されたムハンマド・アブー・フデイル少年は
頭部に損傷を受けたものの、生きたまま火を点けられ、呼吸をしながら
焼かれて命を落としたらしい。(Ha'aretz5July2014; ma'an 5July2014

mhammad.jpg

たった16才の少年が、いったい何をしたというのだろう。
どれだけの罪深いことをすれば、それだけの苦しみを味わい尽くしながら死に至るに値するというのだろう。
どんな憎しみをもてば、目の前の少年に生きながら火を点け、
苦しみながら躯となっていくのを見守ることができるというのだろう。
私には分からない。

こうした一場面ごとの出来事にいちいち反応し、感情的に捉えることは
研究者としては適当ではないのかもしれない。
(そんな気もするので文章につづることで気持ちを整理しつつ、
ブログという内省的な場に引きこもっているのだけれど)
もっと客観的に達観して、構造的な不正義を暴き、非難する側に回ることが
必要なのかもしれない。実際にそうしている知人もいる。

でも人として、一人の人間として耐えられない苦痛を
自分とかかわりのあった人々、その限りなく近い延長に感じてしまうことを
私は抑えることができない。
限りない無力感を感じざるを得ない。
もう何年もこの場所に関わり、人々に関わってきながら、かけらも力をもてない
自分の情けなさに絶望的な気持ちに陥ることしかできない。

ちょうど11年前、同じ思いを味わったことがある。
イラク戦争の開戦。それからファルージャで起きた日本人の人質事件。
いずれも自分とは直接に関係のない、止めることなどできない大きな流れのなかで
起きた出来事だったけれど、自分のいるすぐ隣で、微塵も影響を与えることなどできず
人が殺されていくのを見守ることしかできなかった。

大言壮語を吐くつもりはない。
自分は政策決定になんら影響力をもち得る人間ではないし
責任を負い得るような立場にもない。
開戦の決定は大きな政治的判断の流れの中で決められ
今回のようなリンチ殺人は規制しきれない突発的な暴力の中で生まれる。
だけど、どうしてこんなことが起きるのか、再発しないためにはどうしたらいいのか
考えながら具体的な策を提言していくことが、自分の目指したことではなかったか。

当事者のパレスチナ人の間では、今回のことは、これまでも繰り返されてきた
たくさんの不正と弾圧のひとつでしかないのかもしれない。
それをひとつの酷い事件として受け止められるのは、逆に言えば自分のナイーブさの
ひとつの利点かもしれない。
なんとかそう、自分の弱さを正当化しようとしている。

構造的な暴力の一環、繰り返されてきた不正、抑圧的なイスラエルの政策の結果、
そういって今回の事件を糾弾することは容易だ。
だけど事件を一般化し、糾弾したからといって、それが何になるというんだろう?
糾弾する自分の正当性を誇り、ヒロイズムに酔いしれ、怒りをぶつけて苦しみから少し解放される
それだけではないだろうか。
言い換えるなら怒りの放出は自分のため、自分がすっきりした気分になるための
浄化作用にしか過ぎないのではないか。そんな形でパレスチナの人々を利用することに
私は疑問を感じてしまう。

もちろん、非難する本人にその意識はないだろう。
他に何ができるのだ、連帯して権力者に対抗する、それ以上に有効な手段があるというのか。
そう言われれば、明確に反論する言葉は今の私にもない。
だけど大多数のパレスチナ人は、イスラエル人は、そうして明確に何かを非難し糾弾し
自分を解放することができないまま、無限の苦しみの中に身を置くしかないのではないか。
普段は意識することのない苦しみを、今のような状況では否応なく想起させられる。
それが60年以上続いた紛争の実態ではないのか。
8ヶ月エルサレムに住む中で私が感じたのは、そんなようなことだった。
ならばその苦しさをできる限り共有しよう、そこから部外者の私には見えてくるものがなにかあるのではないか。
それが2年前に私のようやくつかみ得た暫定的な結論だった。

正義は美しく、快い。だけど同時にもろい。
不正非道を行なった相手を怒りをもって糾弾することは、
怒りをもって復讐を行動に移すことと実は紙一重ではないか。
そんな危うさを最近は感じている。

ここ数日の暴力を快く思い、続くよう願っている人はパレスチナとイスラエルでも少ない。
そう願いたい。そうであるならば、今の状況を少しでもよくする可能性はあるのではないか。
安易な対話や赦し、といった言葉がそこにあてはまるとは思わない。
もっと時間のかかる、でも意外に普通なやり方で、暴力は取り締まり
再発を防ぐことができるのではないか。
そうして忸怩たる安定を保ち、既に起きた事件を正当な手続きで裁くことにより
状況を正常な状態に戻すことはできるのではないか。

そんなことを考えている。

暗雲立ち込めるパレスチナ(2)

イェシバの学生が殺されてからは、ますます暗い影は濃く厚くたちこめてきた。
遺体が見つかった2日後、今度は東エルサレムのパレスチナ人の少年が殺され、
遺体で発見された。
家の前にいたところを3人がかりで車に押し込まれて誘拐されるところを
防犯カメラは捉えていたという。
市民感情の昂りに発した明らかな報復行為とみていいだろう。

もともとエルサレムではユダヤ系とアラブ系が混住していることもあり
アラブ系のパレスチナ人に対する襲撃、暴力事件が数年前から頻発していた。

私が特に印象的に覚えているのは、2年前の夏の事件だ。
東エルサレムのラアス・アムードに住む17歳のパレスチナ人青年が
数十人のユダヤ人の若者に襲われて重症を負うという事件が起きた。
場所は西エルサレムの繁華街、木曜日から金曜日にかけての深夜のできごとだった。

今年と同様にイスラームの断食月(ラマダーン)が夏にかかり、それも終盤に近づいたため
祝日(イード)に着るシャツを買いに、事件の日、ジャマールは従兄弟とともに町へ出かけていた。
トラムも通って移動しやすくなった西エルサレムのヤッファ通りは、
パレスチナ人もわりに日常的に足を運ぶ買い物スポットである。

彼がアラブ(パレスチナ人)とみとめたユダヤ人の若者たちが
最初はおそらく冗談半分にこづき始め、逃げるジャマールを追いかけた。
転倒したジャマールに殴る蹴るの暴行を加え、運ばれたときには呼吸も脈も停止状態だったという。
暴行には最終的に4~50人の少年少女たちが加わっていた。

イスラエル紙のイディオト・アハロノトは翌週火曜日の記事で
暴行を認めた14歳半の少年の証言を報じた。
そこでの彼の言葉に、私は戦慄を覚え、深い闇の底を覗き込んでしまったように感じた。
「彼はアラブ人だ。(死んでもいいと思った)」
「もし彼を捕まえたら、また殴るだろう」
質問に対して、彼は堂々とそう言い放ったからだ。

隣人に対して自分と同じ「ひと」とは感じず、容赦ない暴力を加えることができる
そこまで乖離してしまった住民間の心理的分断が、今回の事件の背景にもある。
言い換えるならそこまで宗教色や対立が深まってしまったエルサレムの現状が
今回のような事件をもたらしたとみることもできるだろう。

事件を受けて国防相のモシェ・ヤアロンは、殺された3人の名前を冠した入植地を
さらに建設する、との提案を出していた。(Ha'aretz 1July2014
長期的政治決定としては打撃の大きいそうした決定ですら、
同じ報復というなら、まだしも人道的にも思える。
政治的暴力は、物理的暴力のように相手の顔を見ずにふるえる暴力だから。

留学でエルサレムに住んでいた頃のルームメイトの女の子が、
Facebookに悲鳴のような書き込みをアップしていた。
普段は政治に関することには全く興味を見せない、陽気な彼女なのに。
「今の状況には本当にうんざり!憎しみ、暴力、人種差別で
そこらじゅうが満ちている。次は何が起こるのだか」
前向きな彼女ですら、先の見えない不安に耐えられなくなっている。
励ましてあげたいけど、かける言葉も見つからない。

彼女だけではない。他の友だちも、ユダヤ人、パレスチナ人、それぞれが
暗転していく状況について、知る限りの最新ニュースをアップしていく。
他愛もないコミュニケーション・ツールでしかないはずのSNSを
フォローして読むのが辛くなってきた。

現地のテレビ局で働く友人が、同僚と防弾チョッキを着て映った写真を
アップしているのを見て、軽い衝撃を受ける。
チョッキを着るということは、弾が飛んでくる可能性があるということだ。
万が一のことも起こらないと願いたい。





暗雲立ち込めるパレスチナ(1)

パレスチナ情勢が、非常に剣呑な状態に陥っている。
いまにも爆発して長期的な騒乱状態に突入してしまいそうな、
大規模な攻撃が始まってしまいそうな、強い不安定さを感じる。
なんだかんだで安定した状態が続いていたここ10年ほどの中で
これほどまでに不安な感覚を覚えるのは初めてだ。

きっかけは、イスラエルの宗教学生の誘拐事件。
パレスチナのファタハとハマースの統一内閣が宣言された直後に、その事件は起こった。
これから政治改革が進み、自治区内での久しぶりの選挙に向けて動き出そう
という矢先だった。

イスラエルは誘拐犯としてすぐにハマースを名指ししたが、
状況的にはハマースが関与していたとは考えにくい。
長年の制裁と、ムルシー政権の崩壊を受けて、ハマースは経済的に窮乏しており
ファタハとの連立に活路を見出していたと考えられるからだ。
そのチャンスを自らいきなりふいにするはずはない。
むしろ、ファタハとハマースの和解を快く思わない、パレスチナ内部の急進勢力が
暴発的に起こした事件と考えたほうが自然だろう。

誘拐の犯行声明は発表されず、代わりに誘拐された学生は、
18日後に遺体で見つかった。
殺されたのは誘拐直後だろうと推察されている。

誘拐されたのがイェシバの学生(敬虔なユダヤ教徒の通う宗教学校)
と聞いた瞬間から、これはあまりいい結果にはならないかもしれない
という嫌な予感はしていた。
パレスチナの占領を宗教的な理由で正当とまっこうから主張し、
非合法な入植を神の意思の実現と信じる彼らに対して
パレスチナ人が慈悲を感じる余地は少ないからだ。
でもなにも、殺さなくてもよかったのに、と、遺体発見の報を聞いて
私は暗澹たる気持ちに落ち込んでしまった。

宗教的な入植者の人質、というのは、
ギルアド・シャリートのときのような兵役に就いた若者の誘拐とは
イスラエル政府にとっても意味が違う。
交通機関が少ない自治区の南部とはいえ、ヒッチハイクをして自ら危険に飛び込んだ少年たちを
どう扱うべきか、政府としても対応にはやや逡巡したのだろう。
その証左が、ギルアドの誘拐直後はすぐにガザ攻撃に踏み切った(2006年)のに対して
今回はまだ報復策を決めかねていることからも伺われる。( Ha'aretz 2July2014
国民皆兵のイスラエルで、誰でもなり得る兵役からの人質、という状態に比べて
自ら危険を承知で自治区に住んでいるはずの入植者、というのは
(入植地への居住斡旋に政府が一定の役割の担っているとはいえ)
やはりプライオリティが下がるものと考えられる。

それでもイスラエル軍は誘拐直後からすぐに展開し、自治区内で大勢を拘束した。
その多くは、ギルアド・シャリート釈放の際や、その後の和平交渉での「友好姿勢のアピール」
として釈放されたばかりの政治囚だったという。
釈放されても対イスラエル姿勢を変えようとはしない政治囚が
イスラエルにとって脅威であり続けることは容易に理解できる。
同一人物が再度拘束されることに不思議はないが、それでも、こうした「再拘束」には
やはり政治的な意図が強く感じられた。
彼らの釈放に反対だったイスラエル市民に対するアピールともとれるからだ。

3人の学生が誘拐されたのは西岸の南部だったのに、
大量拘束が西岸地区の全土に及んだのも、その意図を裏書するように思えた。
拘束の過程では巻き添えになった市民の犠牲者も出た。
最初に命を落としたのは、私の友だちも住む、西岸南部のドゥーラー村の子どもだった。

shahid.jpg

いつもや花の写真や漫画しかアップしてこない、村の女の子の友だちが
シャヒード(イスラエルとの衝突で亡くなった人のことをパレスチナ人はこう呼ぶ)
となった子どもの写真をFacebookですぐにアップしているのを見て
事件と彼らの距離の近さを思い知らされた。
名前だけ確認して、自分の知り合いではないと安堵した私と
隣人を殺され、悼む彼らとの間の大きなへだたりを感じた。

自治区で大手テレビ局のカメラマンとして働く友人も、毎日のように
展開するイスラエル兵や部隊の写真をアップするようになった。
まだ若い彼らにとっては、見かけたニュース場面をちょっと得意になって
共有したがってるような軽いのりも感じられる。
しかしそのわずか先に、命にかかわりえる危険が起きないとも限らない。
巻き添えは、政治的にまったく関係なくても降りかかる事態だからだ。

実際に、ドゥーラーで殺された少年が誘拐ともハマースともかかわりがないことは
作られたポスターからも明らかだ。
彼の死を追悼するポスターには大きくファタハのロゴが記載されていた。

隔世の感

先週からまた、パレスチナ/イスラエルに来ています。
今回は自分の研究テーマではなく、他の研究所から委託された研究テーマについての調査ということで、きちんと成果を出さねばと、普段にもまして頑張っています。

事前のメールでのアポ取りがうまくいったのと、来る前にノルマの先行研究レビューをなんとかまとめたおかげか、今のところ順調に予定がこなされています。
いろんな有識者から参考意見を聞いているけど、個別のトピックをとっても意見はばらばらで、どうまとめようか迷うところですが。

ともかくも、二度目の大雪が予報されていた日本を脱出し、来てみたパレスチナ/イスラエルは完全に早春の気候で、とても快適です。
ちょっと早いと思うんですが、アーモンドの花がもう満開で、うすピンク色の花びらは桜のよう。
昼間は半袖の人も見かけるほどの暖かさです。(私は用心して長袖ですが、セーターは不要)

それにしても、久しぶりに調査のみを目的に来てみて感じるのは、以前自分が調査に来ていた頃との時代の変化。
まあ考えてみれば、もう10年!以上も経つのだから当たり前ですが。
第二次インティファーダ(2000年~の対イスラエル抵抗運動)も遠い過去のことになってしまったのだな、と実感します。

私の頃は、検問所があまりに厳しくて、ほとんど入ることができなかったナブルスに、後輩が足しげく通って人と交流を深めている、と聞いたときも驚きましたが。映画『D.I.』や『パラダイス・ナウ』などで取り上げられて揶揄されていた、あの不動の検問所も、今ではすっかり姿を消しています。

それにもまして、今回聞いて驚いたのは、ビルゼイト大学での学生デモの話です。
学費の高さに抗議して、毎年9月に学生がストライキを起こし、授業が止まってしまうのだとか。
まるでロンドンのSOASについて聞いたのと同じような、学生の活発さを感じます。
でもそれ以上に、問題なく授業を続行できる環境にあって、学生がむしろ自主的に運動をして、授業をボイコットしている、という事実自体に隔世の感。

私が初めて調査に来ていたころは、まだインティファーダに対する弾圧が厳しくて、学生運動の温床となる大学をイスラエル当局が強制的に閉鎖して、授業ができなくさせる、という状態だったのです。
スルダという大学の手前の地点には、大学へ行けないよう盛り土の山が路上に作られ、学生はそれを徒歩で乗り越え、車を乗り換えて大学へ通う、という話がよく聞かれていました。
または閉鎖された大学の代わりに、別の場所で授業を行うなど。

開けない大学の授業を、なんとかして続行させようと努力していた10年前。
それと比べて今は、普通に開ける大学の授業を、学生が自由意思でボイコットできる、そんな時代になったんだな、と感じました。
他の国と同様に、授業料値上げなんていう共通の問題に対して抗議ができるようになった。
パレスチナが安定してきたことを感じます。

自治区をめぐる状況が、必ずしもいい方向に進んでばかりいるわけでは決してないけれど、流血の多かった時代を知る者としては、はがゆくも見えるこの安定にも、いい側面はあると思わざるを得ないのです。
そんなのは当事者でない日本人だからこそ言える台詞かもしれませんが。

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錦田愛子

Author:錦田愛子
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