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「うそつき」のお茶

イスラエルには「うそつき」というお茶があります。
うそだと思ったら、試しにスーパーマーケットに行って
「うそつきのお茶を下さい」と聞いてみてください。
きっと迷わず、青か緑の箱に入ったティーパックを持ってきてくれるはずです。

私がこのお茶の存在を知ったのは、ルームメイトのミシェラの紹介。
ハイファーとアッカーの間にある町から来ているパレスチナ人の彼女は
到着したばかりで要領を得ない私の強い味方です。
バスの乗り方、コンロの使い方、ゴミの捨て方、店の営業時間、等々
なんでも積極的に教えてくれます。

長女なので面倒見がよいのか、10歳以上も年上の私を心配して
毎週末に実家に帰るときも、出かける前にいつも
「なにかあったら電話して」と言ってくれます。
とても親切です。英語もアラビア語もヘブライ語もペラペラ。
そんな彼女のおすすめが、この「うそつき」なのでした。

そろそろ「うそ」をつくのをやめましょう。
「うそつき」茶の正体は「Wissotzky」という名前のお茶会社です。
比較的安く、いろんな種類のハーブティーも出していて、なかなかの味です。
正確には「ウィソツキー」とでも読むのでしょうか。
ロシア語っぽい名前ですが、説明が全部ヘブライ語なので読めません。
創業は1849年の老舗のようです(箱の数字曰く)。

tea_wisotsky01.jpg


「W」のマークが目立つので探しやすいのですが
これを見ると私はもうひとつ、こちらで見つけた新しいロゴのことを
思い出してしまいます。それはパレスチナ自治区の携帯電話会社
「ワタニーヤ・モバイル」です。

イスラエルとパレスチナ自治区は同じ境界内にあり隣接しているのですが
別個の携帯電話会社をもっています。(電波の範囲の違いのため)
イスラエルには「オレンジ」と「セルコム」、パレスチナは
私が以前いた2006年頃までは「ジャワール」という会社しかなかった
のですが、今回来てみて看板や広告を見かけるようになったのが
この「ワタニーヤ」でした。

wataniya_mobile01.jpg
↑「ワタニーヤ・モバイル」のロゴ

「W」のマークをあしらったロゴが非常に似ています(というか
どちらもそのまんまを商標にしている…)。
ですが何より私の印象に残ったのは、携帯会社のフルネームです。
アラビア語で「ワタニーヤ」とは、郷土愛、故郷への帰属意識を
表します。パレスチナ人にとっては、まだ独立国家にたどり着かない
故郷パレスチナのことを指すことになります。

今年9月を目処に国連で国家承認を求め、国連加盟を目指している
パレスチナ。その彼らが新しく作った携帯会社が「ワタニーヤ」
というのは、なんとも彼らの心情を表しているようにも思えるのです。

これまでは主要銀行といえば、ヨルダン拠点のパレスチナ人が作った
「アラブ銀行」だったのが、新たに「パレスチナ銀行」ができたという
のも喜ばしいニュースです。こちらは個人口座も作れて海外送金も可能。
数年の間にはパレスチナの通貨も発行されるそうで、そのデザイン案なるものを
先日、インタビュー先の事務所で拝見してきました。
そうなると、パレスチナ銀行は日本銀行のような位置づけになるのかも。

独立、国家承認に向けた政治交渉は、いまだ多くの困難を抱えていますが
自治区のパレスチナ人はそれを乗り越えて自立していくための準備を
着々と進めているようです。
うそつきの「W」を見ると、そんな彼らを頼もしく思い出してしまうのです。

tea_wisotsky02.jpg
↑なぜか部屋にあったエジプト土産っぽいカップで「うそつき」を一杯!

(2011年6月10日分)
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シェルターとセキュリティ・ルーム

私の住むアパートにはセキュリティ・ルームがあります。
セキュリティ、といっても日本人の我々にはとっさにピンとこないのですが
現在進行形で紛争を抱えるイスラエルでは、生活の様々な場所で
「安全」を確保するための装置が準備されています。

先日散策したRothberg Schoolの地下にも、普通に階段で降りられるところに
シェルターが造られていました。コンクリートの分厚い壁と鉄の扉に
囲まれた空間はやや湿っぽいですが、水のタンク、卓球台や机、椅子などが置かれ
いざという時に教室として、まだ避難場所として使えるようになっています。
普段はレクリエーションに使えるように、というのが卓球台の意図でしょうが
学生の姿はひとりもみられませんでした。

トルーマン研究所も地階(0階)はシェルターになっている様子。
そしてクファル・ハストゥデンティウム(学生寮)のアパートには
各戸にひとつセキュリティ・ルームが設けてあるのだそうです。

セキュリティ・ルームは有事の際にルームメイト全員が逃げ込めるように
作ってあるそうで、普段は居室のひとつとして使われています。
他の居室や、キッチンなどの共有部分とは違って、分厚いコンクリートの壁で
囲まれていて、防音効果もばっちりだとか。
うちのアパートではルームメイトのミシェラがそこに住んでいます。

こういう設備は、ガザ地区に近いスデロットや、レバノン国境に近い
ガリラヤ以北にはあるのだろうけど、他の地域には無縁なのかと思っていました。
自分のアパートにもある、と知って一挙に身近な感覚となってきました。

とはいえまだ「恐い」という実感はありません。南部や北部と違って
エルサレムはミサイルが飛んでくる可能性も低いし、湾岸戦争など
周辺国が戦争状態にあるわけでもなく。
むしろ「今は法律で全家屋に義務付けられている」というイスラエルの
セキュリティに対する意識に、やや圧倒されるという感じです。

***

セキュリティ管理といえば、今日はまたラーマッラーに行ってきました。
今度は研究上の用事で、科研費でおこなうプロジェクトの委託先研究所と
細部の打ち合わせに足を運んできました。
昨日(7日(火))の夕方から、ユダヤ教の祝日のひとつ、シャヴオット
に入ったので大学はまたお休みです。時間ができたので、休みにならない
パレスチナ側に行ってきたわけですが、こうした祝日や、紛争の記念日には
移動のチェックはより厳重になります。

用事を済ませて午後5時頃、カランディア検問所に到着したバスは
車体の検査に通され、乗客は全員降ろされることになりました。
めいめい歩いて、イスラエル軍の管理する検問用の建物へ。
パスポートに有効なビザがあれば外国人は普通に通過できるはずですが
数年ぶりでシステムの変化など予想がつかないため、緊張して列に並ぶと
マイク越しに乱暴なアラビア語でアナウンスが降ってきました。
別のゲートを開けるので、そちらに並べ、という指示です。

行ってみるとそちらには既に十数人の列。「どこが空いてるって言うんだ、
いっぱいいるじゃないか!」と内心思ったことを代弁してくれたのは
エディという名の青年でした。
エルサレム在住のエディは、私がアラビア語が分かると知ると喜んで
にこにこ話しかけてきました。

「日本のサッカー・チームはすごく走るのが速い。日本は大好きだ」
人懐っこい感じのエディは、友だちのハーレドと一緒で、大きな袋を
いくつも下げています。なんでもラーマッラーでの買い物の帰りだとか。
検問所を抜けたら同じバスに乗ろう、と誘われて、3人ずつしか通れない
電子錠で管理された回転扉を抜けると、いよいよ検問です。

以前は銀行のように、パスポートを窓越しに手渡して見せるだけで
よかったのですが、今は読み取りの機械に載せて照合しているようです。
エディたちと仲良く話しているのを見られていたので、そんなことを
記録に書きこまれたら嫌だな、と思いつつ台に載せると、すぐにOKが出ました。
あとはエディとハーレドの番。

エルサレムIDをもっている彼らなら、おとなしくしていれば問題なく
通れるはずなのに、エディは挑戦的です。
大量の買い物をとがめられたせいか、兵士の横柄な態度が気に入らなかったのか、
ガラスの向こうの女性兵士と、ヘブライ語で怒鳴り合いを始めてしまいました。
あちらも負けておらず、マイク越しに怒鳴り返して大音声で何も聞こえないありさま。

隣りで男性の兵士が立ち上がったので、まさか彼を捕まえに出てくるのではと
ハラハラしながら見ていましたが、なんとか収まったようで
電子錠が解除され、3人ともようやく検問を抜けることができました。
大丈夫?とエディに声をかけると、にっこり先程と同じ笑顔を向けてきました。
「自分は(エルサレム)IDも持ってるし、マイアミに長く住んでたので
アメリカの市民権もある。怖くなんてないさ」

20代前半くらいに見える彼の若さと自信が、きっとそうさせるのでしょう。
鉄格子に囲まれた軍事検問所を、犯罪者のように扱われながら抜けなければならない
理不尽に苛立つのはもっとも、と思いながら、反抗的な態度を咎められて
そのうち拘留されなければいいが、と案じてしまいます。
イスラエルにとっては当然のセキュリティ管理でも、パレスチナ人にとっては
尊厳や人権の侵害となっている場面があるのです。

バスに乗り込んだエディは、とりたてて腹を立てた様子もなく
降りるべき停留所を私に丁寧に教えてくれてから
先にバスを降りていきました。

(2011年6月8日分)

ヘブライ大学のパレスチナ人

6月5日(日)は、私のヘブライ大学でのデビューの日です。
到着したのが木曜日だったのはさいわいで、金曜日・土曜日と休みに入る
直前に、大学の寮に入る手続きを終えられたのですが、
その日は移動と片付けで疲れて、そのまま休んでしまい。
週があけた今日が、大学に通う初日となりました。

さすが世界的に高い学問水準を誇る大学だけあってか
ヘブライ大学の登録手続きは、きわめて順調です。
トルーマン研究所でのリサーチ・フェローとしての受け入れ申請も
「ウルパン」と呼ばれるヘブライ語コースの登録も、
インターネット上でこちらに来る前にほとんど終わらせてしまっていました。

学費の支払いも、こちらでの保険の申請も既に終わっており
あとは直接足を運ばないとできない、学生証の受け取りや
お世話になる研究所の先生方へのご挨拶だけ。少し緊張して行ったものの
今日も非常にスムーズに物事は進んでいきました。

hebrew_univ_outlook.jpg
↑ヘブライ大学のキャンパス入口

寮の敷地のゲートで大学の場所を聞いて、歩くこと10分弱で
ヘブライ大学の門に到着。きれいな花で飾られたサークルの向こうにある
入り口のあたりでうろうろしていると、歩行者の入り口はあちら、と言われて
坂を少し下ります。ゲートでは学生証(今日はないのでパスポート)をチェック、
その後で建物に入るところで再び、荷物のチェックがあり金属探知機を通ります。

※他の国の大学では想像し難いことだと思いますが
紛争を現在進行形の問題として抱えるイスラエルでは、セキュリティ管理は
非常に厳重です。学生は毎日、このセキュリティ・チェックをとおって通い、
大勢人が集まるバス・ターミナルなどでも、同じ検査をすべての利用者が受けます。


長くつらなった人文科学科の建物を通り抜けると、トルーマン研究所に
向かう石段に出ます。この大学の建物は、なかなかに迷路な構造をしているのですが
着いた当日に散策したおかげで、だいたいの場所は分かり、迷わず
ウルパンが開講されるRothberg International Schoolに到着しました。
学生証の発行は数分で終わり、トルーマン研究所に行く前に少し学校の中を散策。

まだ前の学期の授業があるのか、学生がときどき廊下を行き交い、
教室をのぞくと、いろんな国から来た学生が熱心に授業を受けている様子。
コンピューターを見つけて、臨時のIDを発行してもらい、ネットにつないでいると
休憩時間に入ったのか、わらわらと数人の学生が入ってきました。

驚いたのは、その学生たちを含め、廊下で耳にする声にもアラビア語が
非常にたくさん混じっている、ということでした。
コンピューター室にはアラビア語が飛び交い、携帯用プレイヤーから
漏れるのか、ときおりアラブ音楽も聞こえてきます。
ヘブライ大学といえばイスラエルの誇る学府でもあり、ユダヤ人学生が大半なのかと
思っていたけど… なんだか複雑な感覚です。

big_lunch_hebrew01.jpg
↑大学のカフェテリアのランチは超大盛り・・・

イスラエル国内に住み、市民権をもつパレスチナ人の人口は
何年も前に100万人を超え、人口の約2割を占めるといわれます。
その比率や、学位取得に熱心な彼らの性格を考えると、珍しいことではないのですが。
ヨルダンから国境を越えてこちらに来ると、すぐに自治区に入っていた私にとっては
こうしてパレスチナ人が堂々とユダヤ系イスラエル人と一緒に空間を共有できている
様子が、どうにも不思議に感じられてしまうのです。

「イスラエル人」といえば、検問所で人の出入りを管理する横柄な兵士の姿
しか知らない自治区のパレスチナ人も、この様子を見たらきっと驚くのではないか。
ヘブロンやラーマッラーに住む知り合いを思い浮かべながら、そんなことを思いました。
実際には彼らは、行政手続上、エルサレムに入ることすら非常に困難なのですが。

学校を出て研究所に向かうと、事務の方々から温かい歓迎をして頂きました。
メールで何度もやり取りをしていたナンシーさんは「やっと会えたね」と笑顔で。
彼女たちも、私がこれまで知らなかった「イスラエル人」です。
ほっと安心し、なごやかな出迎えに感謝しながら、自分の中で
新しい1ページ目を広げる必要を感じました。

(2011年6月5日分)

私の知らないラーマッラー!

休日の二日目。今日は部屋にこもって、日本から引きずってきた
仕事を片付けようか、と考えていると、Twitterに後輩から連絡が入っていた
ことに気づきました。(エルサレムでも普通に携帯で見れるTwitterにgmail。
便利です)

寂しがり屋のSくんに会いに行く、というのもあるけれど
なにより、まだ見ていないパレスチナ自治区に行くのが楽しみです。
もう何年も足を運んでいないラーマッラー、変わっただろうか。

ベツレヘムに行きたい、というルームメイトをついでに案内することになり
どれだけ時間がかかるか分からないので、早めに出発。
炎天下を歩いてバス停に行くと、予想通りアラブ・バスがやってきて
順調にわれわれを町まで連れていってくれます。
旧市街の入口前で売っているカアク(ゴマ付きパン)に惹かれながら
お昼はあちらで食べることにして、ラーマッラー行きのバスに乗り換え。

18番という番号がついたバスは、エルサレムとラーマッラー市内を
直行で結んでくれるという優れものなのです。
私が前に来ていた頃は、こんな便利な路線はありませんでした。
カランディアという場所の、検問所でバスを一度降り、巨大な檻のような
検問所を通り抜け、ぬかるんだ道を通ってバスを乗り換えないと
ラーマッラーには行けなかったのです。直通ができたというのは
便利な進歩。後輩から聞いてはいたものの、初トライです。

知らない人によく話しかけられる自分らしく、今日も乗合バスの
隣席のおじさんと仲良くなり、エルサレムの住宅難や海外各地に住む家族の
自慢など話してもらいました。おじさんが降りて、しばらく行くと
カランディアの近くへ。この辺りから一気に、見慣れた景色が変わっていきました。
見たこともない大きなサークルや、完成された分離壁、検問所は車両専用の
入り口が整備されて、何台もが一度に通過できるようになっていました。
ラーマッラーへ入る検問はゆるいので、ほぼノーチェックで通過。

そこをくぐり抜けてからも、景色は一変していました。
大きなサークル、見たことのない分離壁の落書き、町のウェルカム・アーチ。
ひなびたペットショップ屋さんや、小さな店構えがかすかに昔を思い出させます。
ラーマッラーへの道中で目を引いたのは、続々と建てられる5~10階建ての建物。
新しいビルがあちこちに建っていますが、まだ空き家も多い感じ。
いったいどこからお金が流れこんでいるんでしょう。

1時間ほどかけて、ようやく到着した市内も、街並みは一変していました。
自治区の中では比較的都会ながら、どこかのどかな雰囲気が気に入っていた
ラーマッラーは、明るい色彩の現代的な店が立ち並び、見たこともない場所のよう。
マナール広場や時計広場、アイスクリーム屋さんなどめぼしい建物と地形で
なんとか現在地は把握できるものの、かつて長期滞在していた頃とは
まったく違ってしまったみたいです。


ramallah_city01.jpg
↑ラーマッラーで有名なルカブ・アイスクリーム屋

後輩のSくんに会って聞くと、彼自身が1年前に来たときからも
街並みは大きく変わっているとか。5年ぶりに来た私は、浦島太郎になるわけです。
粗末なアスファルトだった道路が掘り返され、きれいな石畳に張り替えられていく
のを見ると、少し寂しい反面、自分の予想を超えた街の発展にうれしさも覚えます。
男性のグループ、女性のグループ、親子連れ、などなど人々が街に溢れ
日が暮れても明るい街灯の中闊歩しているのは、なんだかホットする感じを受けました。

これもファイヤード政権の開発政策の影響なんだろうか。
世銀あがりのファタハ系首相は、欧米資本の呼び込みに成功しているのかも
しれません。私がいたのはまだ第二次インティファーダの余波が残る不安定な時期。
アラファートが郊外のモカタ(自治政府の建物)に軟禁されていた時期でした。
彼が死に、大統領が代わり、首相職が意味を持ち始めてからは、政治や経済の
仕組みだけでなく、機能も変わってきたのかもしれません。

新鮮なラーマッラーを満喫して、すっかり遅くなってから
この日は家路についたのでした。

taybe_ramallah.jpg
↑ラーマッラーのお気に入りのレストランにて、パレスチナ・ビールを飲む!

(2011年6月4日分)

金曜日は礼拝の日

移動疲れで早々に眠ってしまった到着の、翌日は金曜日。
今夜からシャバット(ユダヤ教の安息日)が始まるので
その前に食糧を調達しようと近くのスーパーへ急ぎます。
午前中の店内は、同じ考え?の人たちでかなり混雑していました。

エルサレムの「週末」はかなり複雑です。
ユダヤ教、イスラーム教、キリスト教のそれぞれが宗教に基づき
祝日や週末休みを実践しており、それらが微妙にずれるせいです。
ユダヤ教は金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日となり
バスの運行や、大学、商店、公共施設などが休みになります。
それに対してイスラームでは金曜の昼が大事な集団礼拝の日になるので
金曜日の朝から休み、土曜日は半ドン。キリスト教は日曜日が休みです。

日本が採ってる「土日休み」というのは、キリスト教の西洋に倣った
システムだと思いますが、イスラエルでは金曜日と土曜日が休み。
日曜日は日本でいう月曜日、一週間の始まりです。
木曜日に到着したのは幸いで、ぎりぎりで手続きを終えて入寮できた
というタイミングでした。

来週からは仕事を開始になるので、その前に町を散策へ。
というか、久しぶりに来ることができたエルサレムを堪能するため
買い物の後はさっそく町に降りることにしました。
まだ見ていない黄金のドームや旧市街を、この目で確かめたいと
心が踊り、ウキウキ気分。

寮と大学以外は何も分からないので、寮の敷地を出たところで
通りがかりの青年に道を聞きます。友だちと話してるのを傍で聞いて
アラビア語で話しかけると、にこやかな笑顔でバス乗り場や運行時刻など
教えてくれました。彼の説明によると
なんでもシャバットは午後3時までしかバスがないとのこと。

帰りをどうしよう、まあなんとかなるか、と思っていると
バス停にやってきたのはなんとパレスチナ側のバス(通称アラブ・バス)。
エゲッド(イスラエル側のバス)に乗るつもりだったのですが
これが来るならむしろいっそ便利!シャバットも走ってくれるし
なにより乗り慣れている。アラビア語も英語も通じるので安心して乗れます。

ここまでずっとイスラエル側の秘書さんたちとやり取りして
そちら側に適応しようと努力していたのが、アラブ・バスに乗ると
一気に昔馴染みの雰囲気に戻った気分になっていきます。
シェイフ・ジャラ、アメリカン・コロニーの前を通って、バスは
エルサレム・ホテルの前の昔と同じバス乗り場にあっという間に到着しました。

誰一人馴染みの人に逢うわけでもないのに、妙に懐かしさを覚え
無意識のうちに、昔見た景色を今と重ねあわせて変化を楽しんでしまいます。
ここにあった店が変わった、この新聞屋さんは健在だ、などなど。
しばらくダマスカス門の周辺をうろうろしてから、旧市街に入ろうとすると
すごい人の流れに押し戻されそうに。ぎゅうぎゅうに溢れ出してくる人の波を
かきわけて中に入ると、しばらく道の脇で休憩。

時刻は1時半。そういえば今日は金曜日、イスラーム教の集団礼拝の日。
ちょうど礼拝が終わって、アル=アクサーモスクから人が出てくる時間帯に
重なってしまったのでした。
なんといってもエルサレムはイスラーム三大聖地の一つ!その迫力に
いきなり圧倒されながら、エルサレムに来た醍醐味を堪能することになりました。

prayer_muslim01.jpg
↑ ダマスカス門近くの巡礼帰りの人の群れ

少し人が空いたところで通りの奥に進み、旧市街をぶらぶら。
見慣れたはずの風景が、まだ夢の中のようでボンヤリと実感がわきません。
寮の部屋で欲しい日用雑貨を探し歩いたり、店主のおじさんと話をしたり。
キリスト教の聖地、聖墳墓教会に足を運ぶと、いつものように大勢の巡礼者や
観光客で賑わっていました。カメラを必死に構える人々を見ながら
自分はもう、撮り急がなくていいんだ、というのに気づき幸せな気分に。
教会の神父さんと並んでぼーっと椅子に座り、観光客を眺めながら
ゆっくり落ち着いてここを訪ねることのできる贅沢さを実感しました。

いったん旧市街を出て西エルサレムに足を運んだものの、こちらはやはり
シャバットが近いとあって、多くの店がシャッターを下ろしていました。
ユダヤ側で買い物するには、平日に来るしかないようです。
でもヘブライ語のコースが始まるまで、まだしばらくあるので
その間にまた来よう、と決めて再び旧市街へ。
ちょうど夕方になってきたので、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」へ足を運びます。

「壁」のあるエリアは警備が厳重で、金属探知機などセキュリティ・チェックを
くぐらないといけません。その入り口にいた若い兵士はなぜかフレンドリー。
「まだ入れる?」と聞くと「Why not?」と答えてくれます。
時刻は午後6時。まだ日没まで1時間ほどあるので、外国人でも入れてくれるようです。

「壁」の前のお祈り場所は、男女別に仕切られていますが、その仕切や
観光客と隔てる壁は、見る度にがっちりした物になってきている印象。
今回はそれに加えて、イスラーム今日の聖地「ハラム・アッシャリーフ」に続く
プロムナードが工事中なのか、びっしりと覆いをかけられているのに驚きました。
入ってすぐの右手には、なにやら工事中なのか幕がかけられた一角が。
いったい何を作るつもりなんだろう?

日没を待ちながら少し退屈してきて、右手のユダヤ地区へと階段を上がっていく
ことにしました。礼拝に下りてくるユダヤ教徒の波を避けて、小さい階段を上がると
そこは絶景スポット。黄金のドームが夕日に照らされて燦然と輝いています。
その下で続々と集まり、「壁」の前を埋め尽くしていく人々。あっという間に
礼拝所はいっぱいになっていきます。

jerusalem_prayers_dome.jpg

観光地ながらエルサレムの魅力と対立を凝縮した場所。
そこで所在無げにぼーっと佇んで堪能してから、ようやく私は家路につきました。
ダマスカス門に向かって旧市街を抜けていこうとすると、まさにさっきまで
私がいた場所に向かい急ぐユダヤ教徒の人々とすれ違います。
なんだか今日はずっと、礼拝の人々の波と逆行しているようです。

次に来るときはもう少し、ユダヤ教のことが分かるようになって来よう。
お祈りや、彼らの言葉をもう少し理解できるように。
少しずつ、前進です。
(2011年6月3日分)

エルサレムでの新生活がスタート!

エルサレムに到着しました。
合計1年間の長期海外調査(イスラエル+イギリス)の
まずは順調な滑り出しです。

5年ぶりのイスラエルで、空港からの入国は実に11年ぶり。
厳重と名高い入国審査は緊張しましたが、呆気無いほどスムーズでした。
万全を期してファイルに揃えた書類を見られることもなく。
「空港から来る」以上、問題のある人間は少ない、という前提なのか
と思うと、複雑な心境でしたが、とりあえずかなりホットしました。

(※やや古いデータかもしれませんが、2000年の第二次インティファーダ以降
パレスチナ人の大半は空港の使用が禁止され、アラブ人には入国ビザが
発行されていません。そのため飛行機の乗客にアラブ系はほぼ皆無。
中東のアラブ諸国に行き慣れた私には、違和感の強い雰囲気でした。)


早朝5時半到着、という悪条件でしたが、機内で知り合った
隣席の女性が親切にタクシーに同乗させてくれたおかげで、
気のいいドライバーに大学のキャンパスの中まで送って頂きました。
早朝7時過ぎのひんやりした空気。ヘブライ大学のキャンパスは
たくさんの木々や花が生い茂り、石畳の階段がいくつもの建物を
結んで延びています。人がまだ少ないせいか、猫が我が物顔に闊歩。

cat_at_hebrew01.jpg
↑ 重たいスーツケースを尻目に飄々と歩く猫

まだ朝が早過ぎるな、と思いつつ大学の寮関係のオフィスを訪ねると
大学を卒業したばかりという若いスタッフが親切に対応してくれました。
ここでようやく、用意してきた書類のファイルが活躍。
心配していた大学寮への入寮手続きも、出国前にメールで細部まで
確認していたおかげで順調に進めることができました。

あてがわれたのはKfar Ha Studentim(学生村)という名の学生寮群の
一角で、3人1世帯のアパート。寝室兼勉強部屋は8畳くらいの個室です。
大学に近く、値段も安め、なにより遠隔地の日本から、他に住む場所を
探すことができなかった、というのが、入寮したおもな理由。
とはいえこの寮、実は入るのが最初はとても気が進みませんでした。

エルサレムという町は、多宗教の聖地として土地をめぐる争いが絶えない
場所であるだけに、土地の属性や領有は非常に難しい問題をはらみます。
それだけに、一概にこの寮だけの問題ではないのですが
この場所もまた「イスラエル側がパレスチナから収奪した土地」に
建っていると噂で聞いていたからです。

そこに住むことは占領に加担することを意味するともいえる、そう思い
すごく嫌で、各方面に相談をもちかけ他に住む場所を探していました。
ですが土地勘もない場所に、部屋も見ずに、ネットで賃貸契約を交わす決心がつかず
やむなく当面の宿として入ることにしました。
そう決めると、大学側の手続きはきわめて迅速(この他にも客員の手続きを含めて
ヘブライ大学の事務は至極スピーディーで的確でした)。
あっという間に部屋を確保してもらえました。

myroom.jpg
↑ 大学寮の新しい自分の部屋

ルームメイトがシオニストや信仰篤いユダヤ教徒だったらどうしよう。
きっと話が合わないか、険悪になってしまうに違いない、そう心配しながら
ドアを開けた向こうには、快活な感じの若い学生さんと、落ち着いた雰囲気の
女性が待っていました。これから一緒に暮らすことになる仲間です。

自己紹介すると、女性はローマから来た研究者で短期滞在の予定、
学生さんはなんとハイファから来ている「パレスチナ・イスラエル人」(自称)
だということが判明!
親切に部屋の使い方を説明してくれる彼女が、英語が浮かばず
アラビア語でつぶやいているのに気がつき、話しかけたのがきっかけでした。
シオニストどころか、気安くいろいろ話せそうで楽しみです。

まずは最大の懸念が杞憂に終わったということで、ひと安心。
甘んじてると、ヘブライ語をなかなか覚えずに終わってしまいそうですが(笑)
頑張ります!

(2011年6月2日分)
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錦田愛子

Author:錦田愛子
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