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出会い、そしてお別れ

私の住んでいる学生寮やその周辺にはパレスチナ人(イスラエル・アラブ)が多い
という話を前に書きました。彼らの言葉であるアラビア語で会話できる
というのは私にとっても意思疎通に便利で気が休まるし、彼らにとっても
嬉しいことなのだと思います。通りがかりで道を聞いても、英語で話しかけるのとは
全く反応が違って笑顔で答えてくれます。

そうはいっても通りがかる人たち皆と突然仲良くなれるわけでもなく
友だちになる機会というのはなかなかに限られるものです。
こちらに引越してきて初めてできた友だちは、寮の敷地内にあるカフェテリアで
働くハリールと、そこで出会った寮生のキファーでした。

キファーは学校の先生で、授業についていくのに困難を抱える学生を特に
教える特殊学級を受け持っています。関連した専門の教育学を
ヘブライ大学では学び、ティベリアにある実家から学期中はこちらに来て
住んでいます。
ハリールは高校を卒業し、働き始めたばかりの気の優しい青年。
「シェフになりたい」ので前の建設の仕事をやめて、今の職場を選んだそうです。

cafekfar01.jpg


部屋でインターネットがつながる以前、どこか接続のある場所を、と探して
カフェテリアに足を運んだのが、知り合うきっかけでした。
髪をひっつめにスカーフでくくったキファーを、私は最初、ユダヤ人かと思い
英語で話しかけたのですが、ハリールとの会話を聞いてアラビア語が通じると分かって
雑談を始め、一気に打ち解けていきました。

夏のウルパンが始まり寮には大勢の外国人が入居てきて、キファーのルームメイトも
ネイティヴ英語の人ばかりになった様子。一度招いてもらって、部屋で一緒に
ご飯を食べたときも、なんだか彼女は居心地が悪そうでした。
毎晩のようにカフェテリアに来る、と言っていたのもそのせいなのか。
言語の壁は、思う以上に大きなコミュニケーションの壁なのかもしれません。

一方のハリールは、カフェテリアで働き始めてまだ1~2ヶ月とか。
客の少ない店ながら、昼間の料理学校で学んだ腕を試したいのか
注文にきびきびと応じて料理を出してくれます。
ウルパンの授業で忙しい私も、頻繁に足を運ぶようになり、週に数度は
夕食を作ってもらうようになりました。

「今日の魚、どう思う?正直に言って」
心配そうに尋ねてくるので、味は美味しい、形をもうちょっと、などと
えらそうにコメントしてみたり。
前よりよくなったね、と言うと、嬉しそうに笑顔を返してくれます。
なかなか友だちができないウルパンに比べて、すんなりとけ込めた安心感で
私もなんだか「帰る場所」ができたような気分でした。

cafekfar02.jpg
↑ いつも座っていた席。アネモネの飾り絵がきれい。

そんな中、お別れは突然に訪れます。頼みごとをしていて、少し遅くに
顔を出したハリールは、出合い頭に興奮した調子で切り出しました。
「店を閉めることになった。明日には荷物を引き払う」
店を取り仕切るラマダーンが、客が少なくて採算が取れない、と
踏み切ったそうです。それにしてもあまりに急な決断。心の準備もなく
私は内心、動揺を抑えることができません。

ひと回りも年下の青年に、寂しいと言うのもはばかられて、言葉つなぎに
「次の仕事を探すの?」と聞くと、ハリールの表情が珍しく曇りました。
「ああ、そうしないと。ハヤー・サアバ(人生は厳しい)だよ」
そう言われて初めて、私も彼の境遇に思いをやりました。
せっかく前の仕事をやめて、念願の厨房の仕事を始めてまだたったの数ヶ月。
また新しい職探しをしなければならない。

アイコは働いてるの?と聞かれて、大学に職があることを話すと
「ワッラー、ニーヤーレク(うらやましいよ)」と彼は小さくこぼしました。
大学の寮の小さなカフェテリアで、細々と働き、出会い、やりがいや安らぎを
見出していた私たちの時間は、あっさり終わりを告げました。
悲しいけれど、次に向かって踏み出していかなければ。
ハリールがいい仕事を見つけられますように。
インシャーアッラー

(2011年7月10日分)
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エルサレム・ライト・フェスティバル

パレスチナ/イスラエルでは6月上旬くらいに大学や学校の授業も終わり
夏休みに入ります。長期休暇を利用して海外へ出かける人も多い
ようですが、残った人に向けて国内でもたくさんのイベントが開催されます。
シネマテークで開催される「エルサレム映画祭」や、
パレスチナ自治区で開催される「国際フェスティバル」などは
毎年開催され、恒例の人気行事となっているようです。

それに加えてこちらも以前から恒例となっているのか、私にとっては初めての
「エルサレム・ライト・フェスティバル」に先日、参加してきました。
(ヘブライ語では「フェスティバル・ハ=オール・ベ=アティカ」で
旧市街での開催、というのが明示されています)

1週間ほど前からいろんなオブジェを運びこんで、準備をしているのは
見ていたのですが、あまり関心がなく、ウルパンのクラスメートに
「今日が最終日」と聞いて、やっぱり行ってみることにしました。
早めに街に着いたので、まずは西エルサレムで買い物をしたり
ぶらぶらして、日暮れ頃に旧市街へ戻ってきました。

まだ7時過ぎで薄暮の頃だったのですが、すでにジャッファ門の辺りは
人でいっぱいです。ユダヤ人、アラブ人、親子連れ、カップル、友だちグループ
などさまざまな人が集まり、写真を撮ったり楽しんでいます。

light01.jpg

人が押しかけるせいか警備はいつもより厳重で、ジャッファ門の手前や
旧市街の中のキリスト教地区の入口などに警察が柵を置いて警備に立っています。
便乗商売も認められているのか、パレスチナ人はこぞって屋台を出し
皆おなじパン(カアクという名の細長い楕円状のゴマ付きパン。私の好物)
を売っています。もっと他のものも売ればいいのに、と思ったりもしますが
許可の関係などもあるのでしょう。

イルミネーションはジャッファ門前の広場だけでなく、旧市街の中にも
さまざまなアートとして展示されています。旧市街内のスポットを
めぐる上では、いくつかのルートが設定されていて
地図上に、青で示されたコースには、青いライトのケーブルが道案内となり
たどることができます。青はユダヤ地区、オレンジはユダヤ地区、緑は旧市街の
北の城壁の外を沿って伸びているようです。

light_map01.jpg
↑「ライト・フェスティバル」の案内地図

期待した以上にきれいで、久々に持ち出したビデオカメラで撮影しがいがありました。
ビデオもたくさん撮ったのですが、容量の関係でお見せできないのが残念です。

light02.jpg

light03.jpg


地元の人も、訪れた外国人も、文句なしに楽しめるイベントで
一週間の授業で疲れた心身をリフレッシュさせてくれる気がしました。

ただ少し悲しかったのは、イベントではムスリム地区がほぼ対象外と
なっていたこと。イスラエル側の企画であるせいでしょうが
旧市街内のムスリム地区はライトアップの完全な対象外。
唯一、修築が終わったばかりのダマスカス門が、外壁に映写機を当てられ
美しいシアターとなっていました。
円形劇場のように広がる階段にはたくさんの人が腰掛け、門の壁に
映しだされるアニメーション映画を見ています。
門からは、ちょうど礼拝を終えたのか、ぞろぞろと出てくる正統派の
ユダヤ教徒の姿も。彼らはシアターにはほとんど気を止めず
家路を急いでいきます。
帰りのバスの時間を気にして私も階段を登りながら、心楽しく
でもどこか寂しい気持ちで寮へと向かいました。

(2011年6月22日分)

「ターニング・ポイント5」

イスラエルでは今年9月にパレスチナ側が予定している
国連での国家承認を求める動きに対して、緊張感が高まっています。

パレスチナ国家が国際的に認められることで、それを不承認する
イスラエルが外交上、孤立してしまうのではないか、という不安。
それを阻止するため、アメリカが拒否権を行使した場合に
パレスチナ自治区とイスラエル領の間で激しい衝突が起きるのでは
ないか、という治安上の懸念。

パレスチナ側が昨年末頃からちゃくちゃくと各国に対して承認を求める
外交を展開しているのに対して、
イスラエル側では国連大使も暫定職にとどまり、対応が遅れている
と批判も聞かれます。私がこちらに到着した直後に開かれた
パレスチナ建国に関する研究会議では、イスラエル人参加者の一人に
「これはイスラエルの外交的敗北になる」とはっきり指摘する人がいました。

とはいえど、こうした緊張感が感じられるのは、政治家や知識人の集まり
など公式な交渉、発表の場に限られており、人々の日常生活のなかでは
それほど切羽詰まった感じは伺われません。
ときどき話をするパレスチナ人のお店の店主や運転主などのほうが
むしろイスラエル人より敏感に日々のニュースを追っている印象を受けます。

それを象徴するような出来事が、先日ありました。
「ターニング・ポイント5」と称する避難訓練がイスラエル全土で
実施され、省庁や軍の関係者のみならず、イスラエル国民全員に
朝11時と夕方7時に避難が呼びかけられたのです。
大学では教師が学生に実施を予め告知し、新聞やテレビでも呼びかけられました。

turning-point5.jpg
↑外国人向けに配布された避難の指針地図。各地域ごとに危険度が設定され
避難の目安時間が表示されている。

先にも紹介したように、イスラエルには各建物に少なくとも一箇所
シェルター(避難場所)を用意するよう、法律で義務付けられています。
そこはミサイル攻撃などを受けた場合の避難先となっているので、
今回は各々がそこに逃げこむように、と訓練が実施されたようです。
住民避難は、軍の展開や省庁の緊急時対応など、より大きな訓練プログラムの
一環で、全体としては5日間ほどあるうちの一日が当てられていました。

私が通うウルパンの学生には「君たちは短期滞在だから関係ない」と
訓練の対象外であると告げられたのですが、研究所の人も親切に
「今日が訓練なの、知ってる?」と声をかけたりしてくれていたので
皆さぞや熱心に参加するのでは、と目新しいプログラムに
不謹慎ながら私は内心ワクワクしていました。

ところが、11時になり、高い音でウー ウー とサイレンが鳴り始めても
どうも動きが見られません。キャンパスの中を散策してみても、
夏休みで閑散とした構内でみな平然と歩いています。
立ち話で談笑している人の姿も。一緒に休憩時間に抜けだして見にきていた
友だちも「誰もなにもしてないねえ」と驚いた様子。
既に人々はシェルターに逃げこんでしまったのか、とあきらめて
ひとまず授業に戻りました。

そして夕方。7時にもう一度、サイレンが鳴るということを思い出し
ビデオカメラをもって人の多く通りそうな交差点へ急ぐと、まもなく
同じサイレンが鳴り始めました。
ところが、ここでも人々は何の反応もせず。バスや車は普通に走り
バス停の人も、道を歩く人ものんびりと、まるで何も聞こえないかのように
過ごしています。関心を持っているのは、外国人の私だけのようです。

jerusalem.jpg
↑「ターニング」の日ではないですが、エルサレム市街の様子。
こんなのどかな感じで、変わらず道を歩いてました。

不思議に思いながら家に帰り、ルームメイトのミシェラに聞いてみると
彼女も訓練の存在は知っていたようです。
「でも私たちは、すごくこういうのに無関心なの!」
イスラエルの北部に実家がある彼女は、一例に、2006年のレバノンとの戦争
の時のことを話してくれました。ヒズブッラーがレバノンから撃ち込むミサイルが
当時はイスラエルの北部地域にたくさん着弾していました。
彼女の村にはさいわい落ちなかったそうですが、近郊は被害を受けたとのこと。
それでも、彼女の父親はサイレンが鳴っても平然とポーチに座っていたのだそうです。

「私たちが無関心なのは、この国のセキュリティ・システムを信頼していないから」
と彼女は言い放ちます。びっくりした私は、でもこの国は多額の費用を
治安維持につぎ込んでるじゃない、と聞いてみます。
「でも実際には、それで安全なわけじゃない。設備はすごく不十分で
これで安全とはとてもいえないから」
比較として、彼女はテレビか何かでみたドイツのセキュリティ・ルームの話を
してくれました。彼女が寮で住むセキュリティ・ルームの設備は
それにはとても及ばないのだとか。

こうした人々の反応を見ていると、セキュリティという言葉によって
全てが正当化されるパラノイア状態が、いかに政治化されたものであるか
が伺われます。それは必ずしも人々の実感や希望に基づくものではなく
一定の政策措置を実行に移すために政府が利用する抗弁なのかもしれません。
1991年の湾岸戦争、2006年のレバノンとの戦争の際には、イスラエル国内にも
死傷者が出たそうですが、むべなるかな、と今回の訓練の様子を見て
感じてしまいました。

(2011年6月22日分)

鳩とアリの襲撃

私の住む「学生村」は、東エルサレムのやや小高い丘の上にあります。
住所は「French Hill」。古い入植地の一部で、最近では「北」から来たパレスチナ人が
多く居を構える場所だそうです。
旧市街や西エルサレムの中心部のような喧騒から離れているのはよいのですが
あまりに静かで周りに何もなく、若干、退屈してしまう面もあります。

sunrise01.jpg
↑ 寮の部屋から見える朝日。海から昇ってるように見えますが
まさか死海ではないでしょう・・?

そんな学生のためか、寮の敷地内にあるミニ・スーパーはなかなかの品揃え。
小さな店なのですが、学生のニーズを心得ています。
入ってすぐ右手にある冷蔵庫で目に飛び込んでくるのは、世界各国のビールの瓶。
ヒューガルテンやギネス、ベルギービールまで揃えているのには
むしろ苦笑してしまいました。
ワイン、チーズ、ポテトチップス、ミネラル・ウォーター、トイレットペーパーなど
ないと困るもの、宴会メニューはひと通り置いてある感じです。

近くには銀行とスーパーもあり、CITIBANKでお金も引き下ろせます。
とりあえず、快適に過ごせるようになって、あっという間に生活が安定し始めた
到着の約10日後、事件が起こりました。

外出から戻り、台所にいるルームメイトのミシェラに声をかけると
部屋ではなんだかかすかな異臭が。
「今朝起きてみたら、鳥が部屋に居たの」
びっくりして事情を聞くと、どうやら私が朝、開けたままで出かけた窓から
鳩が入ってきた模様。ミシェラが起きて台所に入ってくると、驚いて
窓から逃げ出したそうですが、すでに部屋は鳩のフンだらけ。

「気にしないで。しょっちゅう起きることだから」と彼女は平然としていますが
台所に散乱して固まりかけているフンを、さすがに放置することもできず
二人でせっせと掃除にかかることになりました。
「今度から窓は開けっ放しにしないでね」
と言われるまでもなく。以来、窓をあけるときは鳩の身幅より狭く開ける
ように注意しています。

その週末のこと。さらに驚愕すべき事件が起こりました。
アッカーの近くにある村の実家に、ミシェラが帰った留守中に
ひとりで夜中、窓を開けてパソコンで作業をしていたところ
腕に一匹の虫が飛んできてとまりました。
なんだろう、と見てみると、身の丈5ミリくらいの羽アリです。
うっとおしい、と思い始末して再びパソコンに向かうと、また一匹。

ants.jpg
↑見にくいですが、ベッドの上のアリの群れ。

不審に思い、伸びをしながら後ろを振り向くと、白い壁やベッド、床の上に
無数の羽アリの群れ。開け放した窓からさらに続々と入ってくるのが
目に入り、慌てて窓を閉めました。
昨日までは、窓を開けてても大丈夫だったのに?
部屋に特に食べ物を置いてあるわけでもないのに、窓のさんに群がっている
羽アリの動きを見ると、どうやら光に集まってきているようです。

とりあえず群れの「増派」は食い止めたものの、すでに室内には
数百匹のアリが。途方にくれるものの、ベッドの上まで跋扈している
アリをそのまま放置することもできず、その日は結局、数時間にわたり
アリと格闘することになりました。

窓を閉め切り、数日経って帰ってきたミシェラに聞いたところ
以前にも同じようなことが起きたとのこと。
「でもそのときは、数匹入ってきただけだった」というので
おそらく私の時は、ちょうど大発生に当たってしまったのでしょう。
その後も注意深く、アリが寄ってくるかどうかを夕方になったら見極めながら
窓を開けるようになりました。
さすが郊外の自然の中の「学生村」、あなどれません。

(2011年6月12日分)

「エルサレムに住む」ということ

私がいま住んでいる学生寮は「クファル・ハストゥデンティム」
(直訳は「学生村」)という名前の大きな建物群の一室です。
ヘブライ大学のマウント・スコーパス・キャンパス側でおそらく一番新しい
寮らしく、値段もそこそこ(月額5万円くらい?)しますが
普通にアパートを借りることを思えば、かなり安い方だと思います。

エルサレムは現在、さまざまな理由で住居を求める人が多く
家賃が相当高くなっています。それらの個々の背景には政治や宗教が強く
影響しています。基本的な構図としては、三大宗教の聖地であること、
イスラエルとパレスチナがともに「首都」として主張していることが
挙げられますが、そのために住居や居住権を得ることが、それぞれの
プレゼンスを高めることにつながってきます。

jews01.jpg
↑敬虔な正統派ユダヤ教徒。エルサレムを聖地として譲らない。
とはいえ必ずしもシオニズムの支持者なわけではありませんが。

エルサレムをユダヤ教徒の聖地と考える「正統派」(宗派の一つ)は
アメリカから大勢渡って来ており、最近の調査では旧市街のユダヤ人地区の
ほとんどを占めるようになったそうです。
また逆に、エルサレムから分離壁※によって切り離されそうになっている
パレスチナ人は、「エルサレム市民」としての権利を得るため
必死で壁の内側に家を借りて維持しようとします。
住む場所を見つけることは、自分の政治的立場を示し、社会的地位を保持する
ための戦略でもあるのです。

※イスラエルは現在、パレスチナ人の居住区を高さ8メートルの分離壁で覆い
物理的に分離を進めています。エルサレムもその例外ではなく、
アブ=ディスやアイザリアなど一部地域は、壁で中心部から切り離されています。


エルサレム市内は全体として、東がパレスチナ・アラブ側、西がイスラエル・ユダヤ側
の居住区に分かれています。旧市街の中も、キリスト教、ユダヤ教、イスラーム教、
アルメニア人の地区に大きく4分割され、住み分けがされています。
土地の収奪や、家屋破壊、入植などにより、各居住区の内部では現在も
人の移動がありますが、土地を所有する人はそれを手放さない最大限の努力をします。
住む場所は、住民のアイデンティティを暗示するシグナルでもあるのです。

こうした面倒な事情があるため、こちらに来る前にエルサレム市内のどこに住むかで
私はかなり迷いました。土地の属性が住民の属性をある程度示す、というのは
土地をめぐる争いがエルサレムでは特に激しいからでもあります。
ヘブライ大学がマウント・スコーパスに建てられたのは、かなり昔のことですが
それでも東エルサレムに建っている以上、なんらかの形で収奪に関係しているはずです。
その土地に立つ寮に住むことは、私自身が占領を肯定し、加担することを
意味するように思えたからです。

とりあえず、入寮したらすぐに、別の住む場所を探そう、そう思って
入ったのですが、来てみて分かったのは「学生村」の意外な現状でした。
東エルサレムに建っているので、当然といえば当然なのですが
周りにパレスチナ人が多い。最寄りのスーパーに行っても
レジ打ちや従業員の半数近くはパレスチナ人のようで、アラビア語が通じます。
銀行でも、ヒジャーブを被ったムスリム女性が、普通に客として入ってくる。
なんと「学生村」の警備でゲートを管理している人にも
一部、アラビア語を話す人(パレスチナ?)が混じっているのに驚きました。

postoffice01.jpg
↑最寄りの銀行。客の大半がパレスチナ人なのに、仰々しくイスラエルの旗が
飾ってあるあたりが、複雑な思いにさせられます。

そして極めつけは、「学生村」に住むパレスチナ人学生の多さです。
ルームメイトのミシェラを含め、多くの学生がパレスチナの北部などから
やってきて住んでいます。問題を避けるため、寮の管理者は同じ部屋に
ユダヤ人とパレスチナ人を一緒に住まわせるのを避けるのだ、と聞きますが
それでいうならこの「学生村」にはほとんどユダヤ人の姿は見かけません。
大半は、ヘブライ語以外を母語とする外国人か、パレスチナ人。
建物によっては、きちんとシャバットを守るユダヤ人もいるそうですが
少なくとも外見上は、数える程度に「キッパ」の学生を見かけるくらいです。

※キッパとは、ユダヤ教徒の男性が頭に載せる丸くて平たい布帽子のこと。
敬虔なユダヤ教徒は、男女ともに頭を常に帽子などで覆っています。


ヘブライ語がまだ初級の自分にとって、英語やアラビア語が通じるのは
住む上で便利な環境といえます。また、暮らし始めてみると
これまで知らなかったエルサレムの複雑な側面が見えてくるような
気がしてきました。パレスチナ人とイスラエル人の微妙な共存、
同じパレスチナ人でもおもに「北」から来たイスラエル国籍のあるパレスチナ人と
エルサレム在住のパレスチナ人の間の微妙な温度差。
個人差かもしれないけれど、自治区にどれだけ親近感を持ち、足を運ぶかも
違うように感じます。

ここで住むのも面白いかもしれない。少なくとも当面は。
大学に毎日朝早くから通わなければならないこともあり、
しばらくはここに居を構えることにしようと思います。

(2011年6月11日分)
プロフィール

錦田愛子

Author:錦田愛子
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