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「バビロンの川のほとりで・・・」

こちらに来てからあっという間に2ヶ月が過ぎ、もう8月に入りました。
ウルパン(ヘブライ語の授業)も第二期目です。
レベル「アレフ」(英語で言うA)から「ベート」(B)に上がり
少し複雑な文法を学べるようになってきました。

語学の勉強というのは、大変ではありますが非常に面白くもあります。
それまで読めなかった言葉がわかり、言えなかった表現ができるように
なってくるのは、不自由さから解放される感じがします。
少しずつ、氷が溶けていくようにジワジワとした変化が自分の中で
起こっていくのをときに実感します。

最初は暗号にしか見えなかった文字が、不意に意味をもって現れてくる
ような楽しさ。買い物の包装や、スーパーのレシートに書かれた文字、
バスの行先表示などが読めるようになるのは、うれしい収穫です。
この調子で早く新聞が読めるようになればいいのですが。

新しいクラスでは、何人かのパレスチナ人の学生さんと一緒になりました。
わからない言葉の説明の助け舟を、こんどは先生がアラビア語で出しています。
ヘブライ大学で学ぶパレスチナ人の学生のうち、ヘブライ語の習得が
十分でない人は、学部の授業を取る前にウルパンで勉強をする必要があるようで
彼らは言ってみれば大学にとって大手のお客さんでもあるのです。

教育システム上、みたところウルパンにいるパレスチナ人は
エルサレム在住者が多いようです。イスラエル国籍のある1948年占領地域の
パレスチナ人は、既に高校までのカリキュラムで十分にヘブライ語を学んでいる
人が多いのでしょう。
エルサレムのパレスチナ人は彼らとは異なる法的地位にあります。

同じセム語系の言語(アラビア語)が母語であるせいか、彼らの習得速度は
目覚しいものがあります。同じレベルのクラスにいても、読む速度や
音読のスムーズさ、新しい説明への理解の速さが自分とは桁外れに違うのを感じます。
「アラビア語をやっていれば、ヘブライ語の習得は速い」
とよく言われるのですが、私の場合まだヘブライ語の文字が目になじまず
読むのにかなり時間がかかってしまいます。

ヘブライ語やアラビア語には母音の表記がないため、子音の羅列のみで
意味と音を推察して読んでいく必要があります。そのため表記が
文法的に解釈できないと、正確な母音が分からないのです。
アラビア語の場合、慣れがあるせいかパッと見で語根(意味の基礎となる
主要な文字)が拾えるのですが、ヘブライ語では私にはまだまだ。

とはいえ私にとってアドバンテージなこともあります。
ユダヤ教やイスラエルの歴史に関する知識がある、ということは
イデオロギー色の強いウルパンのテキストを読む上で便利です。
「イェシバー」(ユダヤ教徒の学校)、「ミシュナー」(ユダヤ教徒の
聖典のひとつ)といった言葉や、旧約聖書の一節など、
パレスチナ人には馴染みの薄い内容がたくさん出てくるからです。

ヘブライ大学のウルパンでは、政治的・宗教的な内容については
非常に慎重な説明や言葉遣いがされます。
つい先日からラマダーン(イスラームの断食月)に入ったため
パレスチナ人の学生の大半は断食中なのですが、そうすると教員は
説明の際に「食べ物の例はやめましょうね」と断って別の例を選んだり。
別にクレームが出るわけではなさそうですが、問題が起こるのを
極力避けているのでしょう。

しかし授業を取る外国人の学生はそんなことには無頓着です。
意識すらしてないのでしょうが、聞いていてこちらがヒヤッとする
ようなことを平気で授業中に述べたりします。

タナフ(ユダヤ教の聖書、に出てくる古代)ヘブライ語を前の学期で
学んでいた、というポーランド人のアレクサンダーも然り。
私がアラビア語で話すのを全く意に介さず、むしろ面白がって
聞いてるような彼なのですが、「泣く」という動詞の活用の例として
「素敵な例文を書いた」と誇らしげに読み上げたのが次の一節でした。

“バビロンの川のほとりで私たちは座り泣いた。シオンを思いながら・・・”
まさかと思いつつ聞いて、ドキッとしたのはおそらく私だけ?
ユダヤ人の学生にとっては聞きなれたフレーズでしょう。
うまく聞き取れなかったパレスチナ人のサジャが「もう一度言って」
と頼んで、繰り返されるのを、なんだか私は居心地悪く聞いていました。

この言葉は、バビロン捕囚中のユダヤ教徒が、流浪先の地でエルサレムの
破壊された神殿を想いながら偲んで詠ったとされるフレーズです。
(旧約聖書の詩篇137篇1節より)
聖地エルサレムを指す「シオンの丘を想って泣いた・・・」というくだりは
「シオニズム」のまさに語源的表現ということもできます。
そのシオニズムに基づき占領され、土地を奪われたのはパレスチナ人。

繰り返された例文を聞いて、サジャが顔をしかめたのも無理のないことです。
授業はその直後に終わり、先生はアレクサンダーに「とても素敵な例文ね」
と嬉しそうに褒めていましたが、それも彼らにとっては当然なこと
なのでしょう。どんなに慎重に避けようとしても覆い隠すことのできない
紛争の影がそこに示されているように感じました。

(2011年8月1日分)
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Dudu Tassa(ドゥドゥ・タッサ)

テルアビブでライブに行ってきました。
考えてみれば生まれて初めて足を運んだプロのライブ・コンサートは
イスラエル人アーティストのドゥドゥ・タッサによるものでした。

イスラエルといってもイラク出身のユダヤ人である彼の存在を知ったのは
今年のエルサレム映画祭で見た『Iraq’n’ Roll(イラクン・ロール)』という
映画のおかげです。いくつかあるユダヤ、パレスチナ関連の映画のうち
日程的に行けそうな作品を選んで足を運んだのですが、4本見た中で
圧倒的に、一番よかったのがこの映画。
思わず友人にもメールやFacebookで薦めてしまいました。

ドゥドゥのオフィシャルサイトへのリンクは【こちら】

映画はドキュメンタリーで、イスラエル建国を契機にイラクから移ってきた
有名な音楽家ダウード・クウェイティーの足跡を、孫のドゥドゥが追う
様子を描いたものでした。

イラクでは、国王から直々にお褒めの言葉と金時計を頂くほど著名な
音楽家だったダウードとサラーハ・クウェイティーも
イスラエルに来ると全く無名で評価されない事実に失望してしまう。
歌手になりたかったドゥドゥの母親も、反対されて断念します。
その子どもであるドゥドゥ(ダウードの愛称、祖父の名前を継承)が
ロック・ミュージシャンとして活躍する中、自分のルーツとして
祖父の音楽を復活させ、取り入れていくという実話に基づく映画です。

細身でピアスをしたスタイリッシュなアーティストのドゥドゥが
母親や祖父を知る友人を頼りながら、ギターを片手に
慣れないアラビア語を口ずさんでいく様子はとても印象的です。
随所に彼の音楽、ダウード・クウェイティーの音楽も引用されていたので
ぜひフル・コーラスで聞いてみたい、と思い足を運んだのが今回のライブでした。

場所はテルアビブ郊外の「ザッパ・クラブ」というライブ会場で
音楽に詳しい知り合いによると人気のアーティストが使う場所だとのこと。
時間ギリギリになりつつ行ってみると会場は若いイスラエル人で満員。
カフェ・スタイルの店内で席に着くと、暗いステージにライトが差して
すぐにライブが始まりました。

二時間ほど続いたステージは、「圧巻」の一言。
映画で挿入されていたシーンや音楽がそのまま目の前で再現され
その勢いにしばし白昼夢を見ているような感覚に囚われました。
色とりどりに入り乱れる照明の光とスモークの中に浮かび上がる
ドゥドゥ。狂いのないボーカルを支えるのは、女性ドラマーの刻む
激しく鮮烈なリズム。曲によってはチェロやビオラ、イラクで有名な楽器の
カーヌーン(鉄琴に近い)やタブレ(小鼓)も導入されて
曲にバリエーションを開いていきます。
誘って一緒に行ったSくんも興奮気味に「カッコいい!」と賞賛。

ステージの後で、思わずたくさんCDを買い込んでしまった
のですが、やはりCDではライブの迫力はないですね。
ともあれ、すごく素敵なものを見ることができました。
後で友人に話すと、アラブの中でもイラク人は特に楽曲に優れている
のだとか。ヘブライ語しか話せない様子のドゥドゥだけど
こうしてアラビア語の音楽も取り入れられ、イスラエルの若者に
受け入れられている様子は、なんだか心温まる感じがしました。

(2011年7月27日分)

「クリーク」

近しい人と常に一緒に行動し、他の人が加わってくるのを
あまりよく思わない集団のことを英語で「クリーク(clique)」と呼ぶそうです。
排他的なグループのことを指し、否定的なニュアンスで使われる言葉。

この言葉を私が知ったのは、こちらに来てウルパン(ヘブライ語の授業)に
参加してからのことでした。クラスメートのなかで
最初にできたカナダ人の友達のケイシーが、不満遣る方ない様子で
授業の休憩時間に話しかけてきて、教えてくれた言葉。

私たちのいるクラス(アレフ・アルバア、つまり「A4」レベル)には
フランス人が多く、教室の中ほどの席を占めて座っています。
後ろの席をアメリカ人が囲むように座り、残りに少数のカナダ人、
ニュージーランド人、中国人、日本人の私などがいる感じ。
そのフランス人たちが他となかなか交わらない、というのを
友だち作りに励んでいたケイシーが愚痴まじりにこぼしたのでした。

授業中はもちろん、文法の説明も含めて基本的にすべてヘブライ語で
進められますが、どうしても分からないときの説明は
共通言語として英語もしくはフランス語が使われます。
ネイティブ・スピーカーではない私は、英語とヘブライ語を
同時に勉強する環境におかれています。

授業ではともに新しい言語と格闘しないといけないせいか
休憩時間などは、話が通じやすい、同じ母語の人たちで集まる傾向があり
今期唯一の日本人である私には、少し疎外感。
ナショナリズムが言語を中心とした共同体で形成される、という初期の議論も
むべなるかな、と肌で実感したのは初めてのことです。

でもそれに加えて、私にとって障壁となったのは、私がアラビア語話者だ
という事実でした。夏のウルパン(ヘブライ語コース)はヘブライ大学学部生の
パレスチナ人がほとんどいないせいもあり、海外からの留学生が中心です。
その大半はユダヤ人。クラスメートの名前がダニエル、アダム、ヨナタン、
ルティ、サラ、と旧約聖書の登場人物と同じなのは、偶然ではありません。
※ キリスト教徒の名前に、新約聖書に出てくるマリー(マリア)やジョン(ヨハネ)、
ポール(パウロ)が多いのと同様に、聖典に出てくる聖人から名付けられているため。


古代ヘブライ語を学んだ経験のある人も多く、ユダヤ教に問題感心を抱く
人々が中心となるなかで、日常会話の言語としてアラビア語を話す私は
違和感のある存在のよう。初歩の会話の練習らしく「あなたは何語を話しますか?」
とか「どんな音楽が好きですか?」と聞かれて素直にアラビア語、と答えると
途端にクラスメートの顔が曇ります。なにか流儀に反することをしてしまったかのよう。

自分を偽りたくはないし、そもそもこの国の人口600万人のうち、140万人は
アラビア語話者なのだから、彼らの言語を学ぶことは客観的に見ても道理があるはず。
でもそんな理屈は通じず。少し予想はしていたものの、思った以上に
高い壁が存在することを、思い知らされました。

一方で「日本人」である私には、クラスメートは皆興味があるようで
「普段何を食べてるの?寿司、じゃないよね」といった質問に私が答えると
皆興味津々で耳を傾けます。兄弟やイトコが日本人と結婚してる、留学先で一緒だった
という例も多いようで、意外な親密感をもって接してくれることもあります。
敬虔なユダヤ教徒のベスは、お寿司が好きだけどコシェル※でないと食べれない、
どこかコシェルの寿司屋さんを知ってる?と尋ねてきたり。
※コシェルとは、ユダヤ教による食の戒律で、豚の禁忌のほかに、鱗をもたない
水生生物(うなぎ、イカ、タコ、蟹など)を食べることを禁じている。


こちらで調査をするにあたって、日本人である自分はパレスチナ/イスラエルの
問題に対して政治的に中立に立ち、あたかも透明人間のように事態を観察できる
とどこか思っていたところがあります。でもそれは大きな勘違いである
ということが肌身を通して分かってきました。
アラビア語話者であるということが、またここに来てヘブライ語を学んでいる
という事実そのものが、既に私を問題の一部にとりこみ、この場所の対立構図の中で
一定の政治色を私に与えているのです。

甘かったな、と心苦く感じると同時に、クラスメートと少しずつ深まる交流のなかに
この国でパレスチナ人が感じる疎外感をどこか疑似体験しているような感じもします。
ヘブライ語が上達すると、周りからはまた違った目で見られるように
なるのでしょうか。自分自身が実験台となった気分で、日々を過ごしています。

(2011年6月28日分)
プロフィール

Author:錦田愛子
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