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友だちとの再会(ヘブロン編2)

偶然の再会の後、次の週末に、私はまたヘブロン郊外の
友だちの村を訪ねました。
前回はあまり話せなかったお互いの近況や、前に会って以降のことなど
話の種は尽きません。
ワリードは最後に会ったとき既に結婚していましたが
イスラエル軍に勾留されており留守で、会うことができませんでした。
その理由も今回、ようやく聞くことができました。

「自分のと似た車を運転していた人が、イスラエル軍を攻撃した」
それを「ワリードの車だ」と密告した人がいたらしく、そのせいで
4週間、勾留されることになったそうです。
お兄さんと一緒に拘束され、はじめは同じ監獄にいたそうですが
そのうちワリードだけ別の監獄に送られ、尋問中に暴行を受けたそうです。

「肋骨を3本折られた」という言葉に驚いて、「病院へ行ったの?」
と尋ねると「拷問はご法度。バレるとまずいから、軍は送らない」
とワリードは笑って答えます。
釈放された後、検査をしたそうですが、そのときには既に手術は不要
になっていたとのこと。この後にも、別の兄弟が潔白の容疑で拘束され
窓のない独房に何日も投獄された、という話を聞きました。
(こちらはパレスチナ警察による拘束)
なにか悪いことをしたわけでもなく、容疑をかけられただけで非人道的
扱いを受ける、という状況には絶句してしまいます。

一方で、うれしい話もありました。
以前会ったとき流産したばかりだったお嫁さんに、今はもう
二人の子どもが生まれていたり、まだ高い声で話していた男の子が
近いうちに婚約することが決まっていたり。
男の子の母親は「婚約式の日には、ぜひ来てね」と念押ししてくれました。

dura01.jpg
↑村の日常風景。お昼ご飯の準備をするワリードのお母さんと、ご近所さん

それから数ヶ月。私もウルパンでの授業が忙しく、来客があったりで
しばらく連絡は途切れていました。
そんなある日のこと、ワリードの弟からFacebookでチャットのお誘いがありました。

ワリードの兄弟は学校を出て、今はラーマッラーで働いています。
何週間かに一度は、村に帰って週末を過ごすそうですが、そのときも
片時もラップトップから離れません。メデイア関係の仕事をしている
こともあり、パソコンやインターネットが大好きなようです。

「最近、村に帰った?」何気なく会話(チャット)から
また遊びにおいで、という話になり、誘ってもらっていた男の子の婚約式が
延期になったという話を聞きました。なんでも近い親族の不幸が重なったからだとか。
「代わりに従姉妹のスースがもうすぐ婚約するよ」
驚いて尋ねると、式は今週末だとか。
「私も行っていい?」と聞くと「大丈夫だと思う。
でも女性側の式は男性側の式とは別だから、よく知らない」との答え。

パレスチナでは夏になると頻繁に結婚式が開かれるので
それには何度も足を運んだことがありますが、婚約はまだ実際に
行ってみたことがありません。
スースの家族とも、以前は家族同然に迎え入れて頂き、
おつきあいがあったので、行ってみることにしました。

wadi.jpg
 ↑西岸地区を縦断するパレスチナ人専用の迂回路。
 アップ・ダウンが激しく、夏は非常に気温が上がるせいか
「タリーク・ワーディー・ナール(炎の谷の道)」と呼ばれる。

行ってみる、と言っても車をもたない私にとって
ヘブロンの村までは長い道のりです。パレスチナ側の公共交通機関を使うと
下手をすると3時間近くかかります。
ワリードの弟が「レンタカーを借りて乗せて行ってあげる」というので
言葉に甘えることにしました。

しかし西岸地区のパレスチナ人である彼らもまた、移動には困難が伴います。
ラーマッラー、エルサレム、ヘブロンという私や彼が住む主要都市間の移動には
「60号」と呼ばれる幹線道路を直進すれば近いのですが、
間に係争地であるエルサレムを挟むため、西岸地区のパレスチナ人は
迂回路を通らねばなりません。
エルサレムに入ることは禁じられているのです。

そのため彼らはラーマッラーから一度、東のエリコ側に下りる道に入り
イスラエルが建てた分離壁の外側に隔離された町を通って
エルサレム中心部を迂回することになります。
ベツレヘム以南は、道路の一部がイスラエル側とパレスチナ側の共用に
なるので「60号」に復帰することができます。
普段彼らがどんな道を通り、どんな経験をしているのか、一緒に行って
見てみるのも面白そうだ、と思い、乗せていってもらうことにしました。

qalandia.jpg
↑ カランディアのチェックポイント近くにある落書き。
若き日のヤーセル・アラファートが描かれている。

待ち合わせはラーマッラーの入り口のカランディア検問所です。
検問所(チェックポイント)とは、イスラエル側が、パレスチナ人の移動管理に
使う軍事施設のことで、ユダヤ教の祝日や、政治的に緊張が高まったときなど
閉鎖され、人々の移動が制限されます。
またユダヤ側のイスラエル管理地域にパレスチナ人が入る際には
特別な許可書を取ることが必要で、実質的な国境管理のような役目を果たしています。

私は外国人として、チェックポイントを越えることができるのですが
ワリードの弟はできません。なので検問所を越えたところで落ちあって
合流して行くことになりました。
《続く》
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友だちとの再会(ヘブロン編1)

前回のブログでは、こちらに住むに際してのトラブルの愚痴ばかり書いてしまいました。
今回からはもう少し、楽しいエピソードに戻りたいと思います。

6月からこちらに来て、何より嬉しかったのは、こちらに住む友だちとの再会でした。
長い間、仕事の都合もあり、この国に来ることができなかったため
何年も会えず連絡が途切れてしまっていた人たちがいました。
彼らと再会し、お互いの近況を話したりできたのは
私にとって、とても幸せな時間でした。
いくつかあったそんな再会と、新たな出会いについて書きたいと思います。

最初のそんな再会は、ラッキーな偶然によってもたらされました。

今年から研究者仲間と始めたリサーチで、こちらの研究機関に委託して
実施したものがあるのですが、その関係で、今年の夏、
私はパレスチナ各地を、調査員に同伴して回ることになりました。

大学での勉強もあるため、私の都合と、研究機関の都合とを
調整した結果、東エルサレムで一箇所、西岸地区で数箇所を案内して
もらうことになりました。
「南部に行く」とスタッフから電話で聞いた瞬間から、もしかして
というほのかな予感はしていました。

とはいえ、待ち合わせの日に西岸地区の南部にある町ヘブロンへ足を運び、
調査員のナワールから今日回る予定の場所の名前を聞いたときは
あまりの偶然に心躍る気持ちでした。
博士論文の調査をしているとき、ずっとお世話になり、長い間
泊めて頂いた家族のいる、その町へ調査で行く、と聞いたからです。

そうはいっても、今回委託した調査そのものも、予定がぎっしりで
忙しい様子。ナワールに無理は言えないな、と遠慮してしまいます。
地元の出身らしく、しっかりスカーフを被ったヘブロン方言の彼女は
がっしりした手でハンドルを握り、携帯で連絡を取りながら
案内をしてくれます。

rihiya01.jpg
↑ 調査で足を運んだ村。中心の広場にあるモスクと、ブーゲンビリアの花。

運転しながら聞かせてくれる身の上話によると、ナワールはもう61歳。
同じ研究機関ではもう18年間も働いているそうです。
「でも5年ほどは仕事を休まざるを得なかった」という理由は
彼女の息子がイスラエル軍との衝突で撃たれたから、とのことでした。
大きな手術を受け、今は回復して働いているそうですが
しばらくはナワール自身も病床を離れることができなかったそうです。
定年近い歳になっても彼女が働いているのは、もしかすると
そのときに払った治療費がのしかかってるせいかもしれません。

経験が長い、というだけあって、ナワールは案内の段取りも至ってスムーズ。
先に村に入っていたスタッフと連絡を取り、仕事の様子を監督しながら
私に調査の手順について説明してくれます。
アラビア語も英語も上手なようです。

「だいぶ遅れてしまった」とつぶやきながら、彼女が最後に案内してくれたのが
7年前、1ヶ月近く泊めて頂いたことのある友人の住む町でした。
見覚えのある景色。市役所の外装は新しくなり、少し変わったようですが
市場や町の通り、行き交う人の雰囲気は、まるで数年前にタイムトリップしたかのようです。
とはいえ事前に友だちには連絡も取っておらず、電話番号すら手元にない。
いきなり訪ねると失礼だろうか。そもそもナワールの仕事の
邪魔をしてしまうかもしれない。もどかしさに葛藤が募ります。

最後のお宅を訪問して、調査票を回収し、やれやれ、それでは引き上げますか
となったとき、でもとうとう抑えきれなくなって、思わず私は訊いてしまいました。
「ワリードを知ってる?」
そのお宅の主人の顔が、偶然とても、私の友達のお兄さんに似て見えた
せいもありました。近い親族では顔が非常に似ることの多いアラブ人なので
ひょっとしたら同じ家系では?と思ってしまったのです。
残念ながら、予想は外れましたが「どこの家族?家の場所は?兄弟の名前は?」
と聞かれて一生懸命説明するとすぐに分かってくれました。

rihiya.jpg
↑ 調査で足を運んだ村の子どもたち。みんな写真が好き。

「ああ、あの角の車屋で働いてる家族ね。知ってるよ、連れてってあげよう」
大喜びする私の横で、ナワールは困惑した表情でしたが
問題ないか尋ねると、すんなり承諾してくれました。
すでにすぐ近くにまで来ていたので、移動にはほとんど時間がかかりません。
はやる気持ちを抑えながら車を降りると、すぐに子どもに取り囲まれました。
顔に見覚えはあるものの、なんだか背が伸びて大人っぽくなった男の子たち。
彼らのひとりが「アイコ!」と叫び、その子の名前を思い出そうとしていると
店のガレージの中からワリードが出てきました。

「アイコ! ・・いつ来たんだ?元気かい」
信じられないものを見た表情で、駆け寄って来てくれ、感動の再会を果たしました。
私からしても、予想外の早い再会に、なんだか夢を見ている気分です。
7年前とまったく変わらない景色。ワリードは少し老けたように見えました。
でも以前と変わらない様子で、「家に寄って行ってもいい?」と聞くと
「もちろん!来なきゃダメだよ。今、送っていく」
と強い調子で歓迎してくれます。
でも今日は、同伴の人がいるの、と紹介すると、改めてワリードは
ナワールと挨拶を交わし、一緒に家に上がらせてもらうことになりました。

5年ぶりに訪れる家族。ワリードのお母さんも健在で、しっかり私のことを
覚えていてくれて、再会にぎゅっと抱きしめてくれました。
元気そうで、その表情も以前と少しも変わりません。
滞在中にお世話になったワリードのお姉さんは、結婚して別の町へ
引っ越されたそうです。代わりに兄弟のお嫁さんが来て
家の手伝いをしている様子でした。

突然の訪問でもあり、ナワールの仕事の邪魔をこれ以上するわけにもいかず
その日はわりにすぐ引き上げることになりましたが、
「近いうちに必ずまたおいで!」という言葉に甘え、連絡先を交換して
町を離れました。帰り道でも、私はまだなんだか現実の世界に戻りきらない
ような不思議な感覚でした。

少し混乱したような表情のナワールは、それでも最後まで親切に
接してくれて、次に来たら自分の家にも寄ってくれ、と家の場所を
教えてくれました。
ヘブロンの人たちの、この熱い歓待の文化が、私はとても好きです。
世話焼きで、家族や友だちを気にかけ、とても大事にする暖かさ。
都会のエルサレムのスマートさとは少し違います。

次はいつ来よう、と考えながら、私はヘブロンの町を後にしたのでした。

「バラガン」か「お役所」か(病院編2)

《イスラエルの旅行者向け保険を使った場合》

日本の保険をこちらで使うのは大変、というのが身に染みて分かった
前回の経験を踏まえ、再び病院へ行く必要が出てきたとき
今度は私はウルパンの学生として、イスラエルの旅行者向け保険を
使ってみることにしました。
(いずれも費用を払っており、権利があるのですから)

膝が痛んで、歩くどころか立ち上がるのも辛く、寝返りすらしんどい状態が
二日目に入った日、授業を休んで午前中にハルエル(HAREL)という
保険会社に電話すると、その日の内に、なんと「3時間後に」
医師を派遣してくれる、とのこと。
さすがイスラエルの保険!とまずは大満足。

日本では最近あまりないと思うのですが、こちらでは医師の往診が普通の
ようです。複雑な検査等はできませんが、検査の指示や薬の処方箋を
書いてくれるのが彼らの仕事。住所さえ言えばよいので便利です。


来てくれた医師は、日本の保険会社が送ってきた前の医師とは異なり
英語が通じず、少々苦労しましたが、ヘブライ語もだいぶ上達?してきた
のでなんとか意思疎通は可能。
検査を受けるための紹介状と、薬の処方箋を書いてもらい
痛み止めの筋肉注射を打って頂きました(この打ち方がまた適当・・・
腰のあたりに適当に「ぶすっ!」と。その後グリグリ揉むものだから
痛みに耐えるだけでかなりの体力消耗 (~~;)

翌日、前に行った病院での救急医療部門での対応の悪さに辟易したので
今度は別の、テレムという救急医療センターに足を運んでみました。
この日は運悪くシャバット。ユダヤ教の祝日で、日没から翌日の日没まで
公共交通機関がなくなり、タクシーの数も激減してしまう日。
なので予め、知り合いのタクシー運転手に電話して、連れて行ってもらう
ことにしました。

とはいえ膝が痛くて自由に動けないので、身支度もはかどらず。
直前まで事務仕事をこなしていたところに、内務省からビザ関係の電話もかかり
ストレスMAX状態。それに加えて、待たされた運転手は、イライラと数分おきに
催促の電話をかけてくる始末。
結局、最悪の気分で病院に到着することになりました。

中東のアラブ人は、基本的に時間にルーズなことが多いのですが
イスラエル(ユダヤ側)で暮らすパレスチナ人は、どうも他人の遅刻に
非常に厳しいことが多いよう。
「30分遅刻、または約束無視が普通」のヨルダンで慣れた私には
急かしい印象を受けます。


ハルエルの威力か、病院での対応は比較的順調。
受付で事情を説明すると、フレンドリーに対応してもらい
黙って待っているだけで名前を呼んでもらえました。
(こんなふつうのコトが、妙にうれしい(笑))
診察を受け、レントゲンを撮ってもらったのはよいのですが
最初から「整形外科で」と希望を出していたにも関わらず
若い一般医師の診察なので、希望を伝えて整形外科見てもらう
ことにしました。

結果、それほど深刻な症状ではない、ということで、薬の処方箋と
診断結果(英語!)を出してもらいました。
その際に、「エコーの検査は今日は受けられないので、日曜日の朝に
また電話してね」と受付の女の子に言ってもらいました。

前回、同じくハルエルで診察を受けたときもそうだったのですが
エルサレムで働く医師には実はかなり多くのパレスチナ人が含まれます。
テレムでも、受付から医師、レントゲン技師まで多くのスタッフがパレスチナ人。
私がアラビア語を話す、と分かると面白がって集まってきました。
なんだか和やかな雰囲気になり、ほっと安心。


・・・ところが問題は、次の日曜日に始まったのです。

******

前回の診察の続きで「予約は日曜日にね」と電話番号まで教えてもらって
いたので、そのまま電話すれば素直に検査の予約がとれると思っていたのですが
実際に電話をすると「検査をしろ、という医師の指示書があるのか」と
再度の確認が。専門用語が並ぶ書類は、さすがにヘブライ語では読めないので
そう伝えると、書類をFAXしろ、とのこと。
(またFAX!!この国は本当にFAXが好きです)

わざわざ大学まで足を運んで、研究所からFAXしたのですが
電話をかけると「届いてない」と言われ。
たまたまレストランにいたので、手元の書類を見せて
事情を説明し、検査を受けたい、また医師から受けるよう支持を受けた、と
説明するものの、どうやら書類にはそれが書かれていないようなのです。

「おたくの診療所に行って、診察を受けて、そちらの医師が検査を受けろと
言ったんだけど?」と強調しても、話は通じず。
名前を言って、カルテを確認して欲しい、と言ってもそれに応じる
そぶりすら見せないのです。非常に頑固!
受付の女性曰く、「検査を受ける気があるの?それなら
再度、ハルエルに電話して、保険で検査がカバーできるのか確認して
医師の診察を受け、検査が必要という書類をもらい、
それからもう一度連絡してきなさい」と一方的に言い張って電話を切られました。

******

書類第一、というのは「お役所」の論理として理解できます。
でもその「書類」を、医師の指導どおりに作れなかった「バラガン」は
そちらの責任では?
医師が指示した必要な検査すら、患者がいちから手続きを全てやり直さないと
受けられない、というこの国のシステムは間違ってるとしか思えません。

またカルテを見れば分かりそうなことも、確認する気配すら見せず
「検査を受ける気があるの!?」と自分の正当性のみを主張するのは
この国ならではかも。イスラエル人が日本に来たら、同じ対応をしてやろうか
と怒り心頭の頭で一瞬考えてしまいました。

イスラエルは医療先進国、と聞いていましたが、今ではまったく信じられない気分。
たとえ技術があったとしても、その恩恵に預かれるのは、
「システム」に乗った一部の人か、政治家など金とコネと権力のある人に限られるのでは。
少なくとも、外国人にその門戸は解放しない、ということなのでしょう。
アメリカ同様、移民が集まって作られた国なのに、外部者に対して非常に排他的。
まあそれも、ユダヤ人に対しては違うのでしょうか。
なんとも居心地の悪い思いで、検査をあきらめたのでした。

「バラガン」か「お役所」か(病院編1)

イスラエルのシステムは、内部で流通しているルール以外を
持ち込まれることを極度に嫌います。
たとえそれが、予めコーデイネートを経て手続きされていたものであった
としても、通常の「お決まり」のやり方以外は受け付けない、ということ。
まあこれは、大なり小なりどこの国でも同じことかもしれませんが。

しかしこと病院に関して、これをやられると、外国人はとても困ります。
イスラエルにはクラリット、マカビー、レウミットはじめいくつか主要な
医療保険が存在するのですが、外国人は基本的にこれには加入していません。
たとえば日本人の私は、日本の保険会社で契約しており、それらの会社が
現地(イスラエル)のエージェントを通して病院への支払い手続きをアレンジする
ことになるようです。または私はウルパン(ヘブライ語の授業)をとっているので、
ヘブライ大学の学生としてハルエル(HAREL)という旅行者向けの保険に入り
それを使うことになります。
以下は、それぞれのやり方を試した、私の体験談です。

****

《日本の保険の適用》
イスラエルの通院のシステムは非常に複雑です。
それぞれの保険会社によって、通える病院が決まっているからです。
なので、症状が出たら、まずは病院ではなく、保険会社に電話して
どこへ行けばいいか相談することになります。

いきなり総合病院で診察を受けられないのは日本でも一緒ですが
「通常のイスラエルの保険」を使っていないため、外国人が診察を受けるには
さらにひと頑張りが必要です。
たとえば病院で検査を受けるには、まず保険会社が送る医師の往診を受け
必要な検査の内容をサイン入りで指示してもらわなければなりません。
それを持って病院へ行き、改めて保健証を提示し、それが使えるかどうかを
再度受付で確認してもらいます。支払いが可能、と確認がとれてはじめて
カルテを作ってもらえ、順番待ちに並ぶことができる、という塩梅です。

これを避けてEmergency(救急)に行く手もあるようなのですが
その場合、うちの近くのハダッサ病院ではなんと、救急用のファイルを作るだけで
1700シェケル(約4万円!)もかかります。
ファイル、といってもカルテだけです。診断の記録を始めるだけで、何の治療も
受けなくても、それだけの初期費用を支払わねばならない、ということです。
この費用は外国人用の保険でカバーできるのか・・?試す気にもなれません。


また病院の対応も、「イレギュラー」対応(いってみれば「クレーマー」対応に近い?)
になるので、運良く親切な人に当たればいいですが、そうでなければ最悪。
先日、検査を受けに病院に行った際は、ただの血液検査と尿検査だけのために
2時間も待たされ、各部署をたらい回しされることになりました。

そもそも「支払保証をしてもらえるよう、現地エージェントから話が通ってる」
と言われて、日本の保険会社に言われた日時に病院へ行ったわけですが、
病院側は何の話も聞いていない、といった様子。
エージェントの名前を告げると、何度も電話をかけ直しては確認し、しばらく待たされました。
(それでも対応しよう、という人がいてくれただけ、私はラッキーだったのでしょう)

エージェントからの返答を待っている間に、私は「必要な検査の担当医から
各検査項目の書かれたシートを受け取って」くるように指示され
病院内を上から下まで、別の建物まで移動して右往左往しました。
(そんなことが自分ではできない重病人だったら、どうすればいいんでしょう。
病人は、病院に来るな、ということでしょうか・・・)

ほとんどは順調に検査シート(検査の種類がそれぞれバーコードで書いてある)を
確保できたのですが、たった一種類の検査が上の階のラボではできないために、
最後には救急医療部門へ行かされることになりました。

ここでひと騒動。
やれば1分で終わる、簡単な検査なのですが、「ここは救急医療部門なので
ファイルを開かないと対応しない」との一点張り。
上の階の医師が、補助的に一部の検査のみここでしてもらうよう、指示したのだ
と説明しても聞く耳を持たず。
非常にぞんざいな対応です。

すでにメインの受付で、私のカルテは開かれているはず、と言っても
話が通じず、尿検査するためだけに、400ドルも支払わないと行けないのは
どう考えても道理が通らない、と思い頑張ってると、結局最初の受付に
押し返されました。

事情を説明すると、受付の女性は再び「検査の全てのシートを集めてこないと
事務を進められない。救急医療部に電話しておくから、もう一度行ってこい」
とのこと。まったく期待をせずに再び戻ると、また来たか、という顔で先ほどの
人は救急の中の別の医師に私を引渡し、そこで再び事情を一から説明させられるはめに。
するとその医師は、なんと快く「その検査なら無料でやってあげる」との返事。
喜んで、検査をしてもらうことにしました。

再びメインの受付に戻り、事情を話すと、今度は彼女がかんかんに怒り始め
「誰が無料でやるって言ったの?!」と憤懣遣る方無い様子。
「ボイ!(一緒に来て)」と言われて、彼女の後について行くと
先ほどの医師は見当たらず、検査も進んでいない様子。
ただ、とりあえず私の保険の状況は把握している彼女が一緒に来てくれたおかげで
なんとか話は通り、ようやく検査をしてもらえることになりました。

・・・「予約は9時」と言われて、病院に行き、ここまで手続きをするまでに
丸2時間。別の部門を回っても、検査自体は30分以内で終わり、
さらに1時間半待って、ようやく結果をもらうことができました。

*******

大病院では、日本でも検査や診察には時間がかかります。
でも、次に何をすべきか分からない、尋ねる人ごとに答が変わる、
ちゃんと手続きを踏んでるはずなのに、「彼らなりのルール」で一からやり直す
ことを求められる、というのは・・・どうなんでしょう。
「バラガン」というか、「お役所仕事」というか。
日本に滞在する外国人も、こういう大変な目に合っているのでしょうか。

もしそうなら、今度日本に帰国して、困っている外国からの訪問者を見たら
絶対に親身に手伝ってあげよう、と心に誓ったのでした。


「バラガン」か「お役所」か?(EMS編)

イスラエル(システムとしての)に来てから6ヶ月半が経ちました。
ウルパンは順調に修了し、秋学期を迎え、友だちも増えてきました。
研究所では、日本研究(こちらではJapan Studiesと呼ぶ)の先生と
相部屋になり、情報交換したり、いろいろ教えて頂いたりしています。
生活には慣れたものの、体調を崩したり、いろんな問題も増えてきました。

そもそもこちらの事務処理は、日本人から見ると非常にいい加減で
道理の通らないことが多いです。この「適当さ」をヘブライ語では
「バラガン」と呼び、冗談にして笑い飛ばしたりしているのですが
本当に何かが必要なときや、困ったときには苛つことも多いです。

たとえばEMS。日本の郵便局から送れる速達小包として、料金は高いですが
「確実で速い」として郵便局員からは勧められることが多いのですが
この国ではまったく機能しません。
トラック番号で追跡するとよく分かるのですが、
日本からイスラエル到着までが3日かかるとして、イスラエル国内で
税関を通り、通知が送られ(来ないこともある)、様々な手続きを追加で
受取り手が頑張ってこなして、到着するのはさらに2週間後。
「速達」の意味は全くありません。


ems01.jpg
↑長旅を経て届いた荷物。スーツケースですが、鍵は開けっ放しで送ってもらった。

しかも受け取りのために必要な手続きは、その度、人によってもまちまち。
私の場合も、初回では「イスラエルに届いた」という通知が手配達で
部屋に持って来られて、それを受け取るところからようやく手続きが始まりました。
大学では毎日授業があるため、私は当然毎朝留守にしていたので
通知を受け取るだけで2週間以上かかりました。その後、通知に書かれた番号に電話して、
荷物を持って来てもらう日を予約して、到着を自分の部屋で待ち、
お金(配達料?詳細は不明)をその場で払う、というやり方。

これに対して2回目は、これとは全く異なりました。
前回は全く箱を開けられた形跡がなかったのに、今回は開封され
中身をチェックされ、どう見たって使い古しの、圧縮袋に入った衣類を
「新品」とリストして勝手に課税。しかも「テルアビブまで荷物を取りに来い」
という話。通知は部屋にではなく、いつの間にか郵便ポストに入っていました。

送ってくれた母いわく、「書類は前回とまったく同様に書き、
大半は”NCV”=商品価値なし、で金額もわずかにしか計上してなかった」
はずなのですが??「NCV」の意味が分からなかったのでしょうか。
EMSの事務所に電話して聞くと、「開封して再検査するから、許可のレターと
中身のリストを書いてFAXしてくれ」とのこと。
リストは既にEMSの送付状に付いてるんですが???
意味不明ですが、とりあえず言われたとおりにやらないと、何も進まない
のがこの国のシステム。担当者はわりに反応が早く、親切そうなので
言われたとおりに適当に紙に書いて送りました。

次の日、開封検査を経て同じ担当者からかかってきた電話では
今度は「薬が入ってる。何の薬か、書いてFAXしろ」という指示。
たしかに薬の輸入に敏感になるのはわかります。
ヨルダンでも、「保健省を通せ」と言われたことがあったので
心配になって聞くと「なにの薬か書けばイイ」との話。
・・・たしかにヤバい薬はひとつもないですが(普通の風邪薬が2種類のみ)
「そんなんでいいのか」というバラガンさと、
それでもFAX(あくまでFAX!!!)という書面を欲しがるお役所仕事に
やれやれ、という感じ。

ems02.jpg
↑ 開封検査のために、開けたはいいが、きちんと閉められなくて
代わりにテープとビニールでぐるぐる巻きにされた荷物。

書類を送り、それで終わりか、とおもいきや、今度は夕方に
別の人から電話がかかってきました。
「荷物の重さは何Kgだ?」「(母から聞いてたので)18Kg」
「~?そんなことないだろ。8Kgでいいか?」「・・・まあいいです」
「送料は?」「(EMSのinvoiceに書いてあるだろ!と思いつつ)さあ、100ドルくらい?」
「OK!」(と言って電話をきろうとする)「ちょっと待って、いつ届くの?」
「さあ、2~3日だろ」「前回は配達日の予約をしたんだけど」
「え?彼らは君を見つけるよ、大丈夫」「(何が大丈夫なもんか!)配達員の番号を知らない?」
「さあ。君の番号は?・・ああ、ここに書いてあるね。大丈夫、届く届く」・・ガチャン。

それっきり、荷物の行方を知るあてもなく、数日が経過しました。
実はこのとき、冬服のコート類を詰めて送っていたのですが
届かないので11月に入っても、私は夏服のまま。ありったけの枚数を着込んで
奇妙な格好で外出を続ける日々。

さすがにコートの一枚くらい買うか、余分な出費だけど、と思い始めた頃。
別件で、私は寮の事務所に立ち寄りました。すると・・・!!
なんと、その場にあるではないですか。私の荷物が。
喜び勇んで尋ねると「ああ、昨日の午後、届いたのよ。でもあなたの電話番号知らないし」
と答える事務所のお姉さん。
・・・「番号は、居住契約書に書いてあるでしょ」と言うのは我慢。
とにかく届いただけでハッピーです。

前回と同じなら、受け取りに費用が発生しているはず、と思い、
事務所で立て替えてもらったのではと尋ねると「何も払っていない」とのこと。
関税はともかく、テルアビブからエルサレムへの配達だけで料金が発生するはず
なのですが???
ルームメイトに後で書類を確かめてもらうと、やはり請求書の部分が破り取られていて
支払い不要、とチェッっくされていたそうです。

まか不思議な配達システム。
そう、この国では荷物ひとつ受取るにも一苦労なのです (~~;
プロフィール

Author:錦田愛子
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