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暗雲立ち込めるパレスチナ(3)

検死の結果が出た。
東エルサレムで誘拐され、遺体で発見されたムハンマド・アブー・フデイル少年は
頭部に損傷を受けたものの、生きたまま火を点けられ、呼吸をしながら
焼かれて命を落としたらしい。(Ha'aretz5July2014; ma'an 5July2014

mhammad.jpg

たった16才の少年が、いったい何をしたというのだろう。
どれだけの罪深いことをすれば、それだけの苦しみを味わい尽くしながら死に至るに値するというのだろう。
どんな憎しみをもてば、目の前の少年に生きながら火を点け、
苦しみながら躯となっていくのを見守ることができるというのだろう。
私には分からない。

こうした一場面ごとの出来事にいちいち反応し、感情的に捉えることは
研究者としては適当ではないのかもしれない。
(そんな気もするので文章につづることで気持ちを整理しつつ、
ブログという内省的な場に引きこもっているのだけれど)
もっと客観的に達観して、構造的な不正義を暴き、非難する側に回ることが
必要なのかもしれない。実際にそうしている知人もいる。

でも人として、一人の人間として耐えられない苦痛を
自分とかかわりのあった人々、その限りなく近い延長に感じてしまうことを
私は抑えることができない。
限りない無力感を感じざるを得ない。
もう何年もこの場所に関わり、人々に関わってきながら、かけらも力をもてない
自分の情けなさに絶望的な気持ちに陥ることしかできない。

ちょうど11年前、同じ思いを味わったことがある。
イラク戦争の開戦。それからファルージャで起きた日本人の人質事件。
いずれも自分とは直接に関係のない、止めることなどできない大きな流れのなかで
起きた出来事だったけれど、自分のいるすぐ隣で、微塵も影響を与えることなどできず
人が殺されていくのを見守ることしかできなかった。

大言壮語を吐くつもりはない。
自分は政策決定になんら影響力をもち得る人間ではないし
責任を負い得るような立場にもない。
開戦の決定は大きな政治的判断の流れの中で決められ
今回のようなリンチ殺人は規制しきれない突発的な暴力の中で生まれる。
だけど、どうしてこんなことが起きるのか、再発しないためにはどうしたらいいのか
考えながら具体的な策を提言していくことが、自分の目指したことではなかったか。

当事者のパレスチナ人の間では、今回のことは、これまでも繰り返されてきた
たくさんの不正と弾圧のひとつでしかないのかもしれない。
それをひとつの酷い事件として受け止められるのは、逆に言えば自分のナイーブさの
ひとつの利点かもしれない。
なんとかそう、自分の弱さを正当化しようとしている。

構造的な暴力の一環、繰り返されてきた不正、抑圧的なイスラエルの政策の結果、
そういって今回の事件を糾弾することは容易だ。
だけど事件を一般化し、糾弾したからといって、それが何になるというんだろう?
糾弾する自分の正当性を誇り、ヒロイズムに酔いしれ、怒りをぶつけて苦しみから少し解放される
それだけではないだろうか。
言い換えるなら怒りの放出は自分のため、自分がすっきりした気分になるための
浄化作用にしか過ぎないのではないか。そんな形でパレスチナの人々を利用することに
私は疑問を感じてしまう。

もちろん、非難する本人にその意識はないだろう。
他に何ができるのだ、連帯して権力者に対抗する、それ以上に有効な手段があるというのか。
そう言われれば、明確に反論する言葉は今の私にもない。
だけど大多数のパレスチナ人は、イスラエル人は、そうして明確に何かを非難し糾弾し
自分を解放することができないまま、無限の苦しみの中に身を置くしかないのではないか。
普段は意識することのない苦しみを、今のような状況では否応なく想起させられる。
それが60年以上続いた紛争の実態ではないのか。
8ヶ月エルサレムに住む中で私が感じたのは、そんなようなことだった。
ならばその苦しさをできる限り共有しよう、そこから部外者の私には見えてくるものがなにかあるのではないか。
それが2年前に私のようやくつかみ得た暫定的な結論だった。

正義は美しく、快い。だけど同時にもろい。
不正非道を行なった相手を怒りをもって糾弾することは、
怒りをもって復讐を行動に移すことと実は紙一重ではないか。
そんな危うさを最近は感じている。

ここ数日の暴力を快く思い、続くよう願っている人はパレスチナとイスラエルでも少ない。
そう願いたい。そうであるならば、今の状況を少しでもよくする可能性はあるのではないか。
安易な対話や赦し、といった言葉がそこにあてはまるとは思わない。
もっと時間のかかる、でも意外に普通なやり方で、暴力は取り締まり
再発を防ぐことができるのではないか。
そうして忸怩たる安定を保ち、既に起きた事件を正当な手続きで裁くことにより
状況を正常な状態に戻すことはできるのではないか。

そんなことを考えている。
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